大瀧冬佳のブログ

男児4人の母が幸せな人生のために暮らしと経済と意識について語るブログ

モノの見方、ざっくり3タイプ「長距離型」「中距離型」「短距離型」

夫婦は話し合いが欠かせない。ましてや私たちは共に事業を興していこうと考えているし、そもそも子育てや生活は一大事業のようなものなのでビジョンややることのすり合わせ、そしてほんの少しの違和感なども互いに指摘しあったり、話を聞いてもらったり聞いてあげることでうまく稼働している。

 

「人と自分は違う」

 

ということが案外わかってないんだな!と人と深く話すたびに思い知らさせる。誰もが自分と同じような感覚や考えを持っているとは流石に思わないが、それでも「全然違う」の全然がどれくらい全然なのかまではやっぱり触れてみるまで気付けない。

 

今回は「目標」や「ビジョン」「日々の視点と10年後の視点」「ミクロとマクロ」というものの見方が全く違うことを夫と話してて衝撃を受けた。

 

人は程度の差はあれ目標達成のためのビジョンを描く力にも

長距離走

中距離走

短距離走

がいて、これらは

長距離走型→ロマンや理想を強く持てるアーティストや社長タイプ
中距離走型→非現実的なロマンをどう実現するかが得意な副社長やプロデューサータイプ
短距離走型→プロジェクト化されたものを細かく処理しやすいものにし指示、管理するマネージャーやチームリーダータイプ

 

になることがここ最近わかった。(私調べ)私は思いっきり【長距離走型の生粋のアーティスト、社長タイプ】なので、遥か彼方すぎて今のここからは見えそうにもないビジョンもありありと描け、目先のことで判断しないので他人からは「そんなの怖いよ」と思われる決断も長期スパンで見たときには取るべき選択なことも多々あるのでバンっと潔く決めることができる。そしてロマンや理想の中で生きていて、現実派からしたら「希望的観測で語る脳内お花畑ちゃん」である。

社長やアーティストはその個性がむしろ大事である。私はその大きな理想をボトムダウンして日々にまで落とし込まないとその目標はまさに絵に描いた餅になることも動物的勘でわかるので、これを苦手ではあるがボトムダウンするためにピントを中距離、短距離と近づけ「現実的思考」に一生懸命合わせ実行してきた。

 

規模感が個人の中途半端なダンサー止まりであればこれでも問題はないし、不自由もなかったのだが、明らかに現在打ち止め感を感じるし、下火なことに焦って何かが空回りし、エネルギーがうまく循環されていないとか、私が私らしくない方向に行ってしまうモヤモヤを感じていた。

できるからやるではなく、「あ、私できないわ」ということに気がついた。完膚なきほどに「あ、できない」ってわかった。それまでは「私の方ができるし、自分の舵取りは私にしかできない」くらいに思ってまぁまぁ生意気だったのだが。いや、そのプライド本当に恥ずかしいよねって思えるくらいやりきったでもできなかった!!!

 

そして元来「中距離型」「短距離型」は鼻くそほじりながらできるくらい簡単なことなわけ。それを「私だってできるもん!」って徹夜でもしてやろうとする私は愚かである。

 

あそこに行こうと決めたとき、私レベルの中距離、短距離では太刀打ちできないし、長距離の方ももっとそこに集中すべし!!!!としか考えられないところにきていた。

 

夫と話していて、お互い笑ってしまった。

私が当たり前にできることが、夫にとってはちんぷんかんぷん。そしてその逆ももちろん起きる。何でこんな簡単なことができないの??みたいなことがお互いゴロゴロある。そして、自分の当たり前は人には非常識だったり理解不能なレベルのこともあることを知り、適材適所での協力体制を敷きみんなで繁栄の方向にガコンとシフトチェンジできた気がする。

 

自分と相手をよく知ること

よく知るには「まずはやってみる」がないとわからないこともたくさんあるが、修正を常にかけ続けるくらいによーーーーく自分と相手と空気感を観察することが大切だ。

 

大瀧冬佳はアーティストとしてやっていく

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photo  by bozzo

 

と、決めると。魂が喜ぶし、心がほっこりあったかくなる感じもするし、顔もスッキリ穏やかになる。余計なこわばりがとれる。

 

よくよく考えたら、転けるときは不得手なことを一生懸命やってるとき。「生きるのが下手くそ」だとか「協調性がない」とか言われてしまうことにビクついて、自信をなくしどうしたらみんなと同じように「ふつうに」なれるかな、できるかなって思考に陥ると途端にものすごくよくない流れになって行ってしまう。

 

苦手を克服しようと苦手な部分にフォーカスするのは実は解決には結び付きづらい。全体のパワーは落ちてしまうことも多い。特に長距離走型アーティスト社長タイプは。

 

よくわかったのは、「中距離型」「短距離型」には嘘でしょ?って思われるくらい、ピュアで子供のように信じるし、吸収する。裏表がなく、なさすぎて裏があるのではないかと疑われがち。思い込みが激しい、裏を返せば全力で相手を信じる。先入観は置いて目の前の相手を真っ直ぐに信じるし、基本的に目の前のことに全身全霊で飛び込む。

 

なので、「あぁ、私ダメなんだ」ってなってしまうと全力で落ち込む。生きてるだけで公害かも…人様に迷惑をかけてしまうなら口を封じた方がいいかも、姿をくらますべきか…みたいになることもある。書いてて、やばい人だなって自分で思うけど…超絶不器用だ。

 

でもこれは良さでもある。なので、ソロ公演あたりから思っていたのだけど、私はマネージャーやプロデューサーにいてもらった方がずっと私らしく生きられるし、能力を発揮できる気がする。そう考えたら、また1㎏くらい軽くなった気がする。(ダイエットも思い込みで痩せられてしまうタイプでもある)

 

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ひふみ祝詞を奏上しながらのストレッチ

ひふみ祝詞を唱えながらの、猫のポーズをKAYAメソッド®︎の中丹田を特に意識する形でやってみました。

ひーふーみー/よいむなやー/こともちろらね

 

の3/5/7のリズムでいきます。喉の第五チャクラと眉間の第六チャクラを噛み合わせて、前に吐く息と祝詞にのせて放つようにすると、今まで短めだった背骨が長くタイトにアーチしていく感覚が掴めました。掴みやすい。

 

特に頭蓋骨と胴体のところが繋がって伸びていく感覚がとても気持ちよく。ひふみ祝詞は日本語の美しさに心が澄んでいき、脳もクリアになりました。

 

これはすごい。

 

Uzmeのベーシックレッスンに取り入れていこうと思います。

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ダンスカンパニーUzme鎌ヶ谷地方公演

Nostalgiaノスタルジア11/27(火)

11:00/14:00(上演時間30分予定)

スタジオエンゼル
東武アーバンパークライン鎌ヶ谷
新京成線初富駅  徒歩10分
千葉県鎌ケ谷市南初富4-13-40

チケット 一般 2,500円/当日 2,700円

【11/27 11:00/14:00】鎌ヶ谷公演nostalgiaチケット | ダンスカンパニーUzmeチケット

 

 

 

人を非難したくなった時は自分の何が反応しているかを知るチャンス

何でも感謝、感謝言う人が苦手だった。

清らかすぎて嘘くさい、そんな感覚を持っていた。

今はそうは思わない。

その人が嘘をついているか、心からそう思っているかを見張る自分が嫌になった。感謝感謝言う人に対していちいち反応する私こそがなんか嫌だなぁと思うように。

私は何様かと。

 

それは他のことに対しても同様に。

他人を見張ったり、とやかく言う私はもうやめた。時々言ってしまうこともある。その時無理に我慢はせず、言うときは言うけれども、明らかに変わったのはなぜ自分がそこに引っかかるのか、私の何に触れているのかを内観するきっかけだと捉えるようになった。

すると、自分のちっちゃなこだわりだったり、可哀想で認めて欲しかった自分が出てきたり。小さく弱い私がそこで頑なになってることが多い。

自分を知るきっかけになる。

感謝感謝言う人にいちいち反応してた私は、口だけの感謝じゃなくて心から感謝してもらうべきって思ってたんだろう。何でも感謝で片付けるな!と思ってた私こそが感謝にこだわってたんだなーと気付くきっかけに。

すると、私は誰かに心から感謝してもらうために何かをしてるわけじゃないんだったな!と一つ自由に軽くなれるのだ。口だけの感謝をする人がいようがいなかろうが気にならなくなる。

そこをそんなに重要視しなくなったからだ。

 

さらに、私がいろんなものに自然に感謝の気持ちを持てるようになった。

 

自分の何が反応しているかという視点、結構使えると思う!

 

日本人の血に流れる神道が素晴らしい!神道の現代の生活への応用

神道は私たちの生活に密着していた

私自身、日本神話や古事記日本書紀など神様系のお話を知るようになったのは実はここ二、三年の話でそれまで無縁だった。神様なんてこの世には存在するわけない!無宗教だし!私!と言った具合に生きてきたのだが、これは大きな勘違いであったようだ。

そもそも、神道とは宗教ではない。〇〇教という教えではないので、誰かや〇〇神を教祖とするものではなく。日本人は全てに神様が宿ると考えてきていて、それは人の生きる「道」としてのものなのだ。

(「宗教みたい」と揶揄することもそれはあまりに宗教の定義が狭すぎる中での話で宗教をちゃんと理解しているものからすれば意味がわからないのではないかと個人的には思う。)

それで、お正月や、七五三、節分、お宮参り...これら全て神道に基づくものだったので、無縁どころかめっちゃ神道に沿ってみんな知らず知らずに生きているわけだ。

 

八百万の神様を敬い、四季の移ろいと恵に感謝する神道は日本古来のものとして私たちの生活に根付いていたわけ!!

しかし、神道は宗教として聖典や戒律もないので、はっきり「私は神道を信じている!!」という認識はほぼみんな持っていないということだ。でも、文化や価値観は紛れもなく神道。宗教というよりも生活背景と言った方がしっくりくる。

 

お神輿も山車も、神楽も、もっというと湯船に浸かるというこの文化も神道そのもの。これってすごいな!!と思うわけだ。緩やかながらもしっかりと私たち日本人は神様と繋がった文化を生まれながらにして持っているってこと。

 

私が意識し始めた神道の応用

・朝の掃除

玄関にはアメノイワトワケさまという神様が。神社でいう鳥居であり、外の世界と自分の家である神域とを隔てる結界として出入りする祓いの場所にしたい。

居間は氏神様。台所は竈神。お風呂と洗面所はミツハノメさま。トイレは厠神。寝室には枕神。クローゼットには納戸神。鏡にはイシコリドメさま。庭には屋敷神。不要品にも付喪神がいらっしゃるので、感謝を持って破棄する。

 

思えば、私が芸事一筋、弟子入りしていた頃は、朝早く、お稽古場に到着したらお稽古場全てに感謝しながら大掃除から一日を始めさせられていた。チリや指紋一つないくらいにピカピカにしてから稽古が始まる。そうして、道具や場所に感謝して、向き合うその心が芸を磨くと教えられてきた。

掃除をしていると自分の内面も清められていくので、1日のスタートにとてもいいなと思い、我が家では家族総出で箒とハタキと雑巾を使っての掃除から1日を始めることにしている。その際「ありがとう」と言葉にして、言霊を使って家の気を上げていくようにしている。

 

・お風呂に入ってパジャマを着る

身嗜みは自分を清めるのにとても大切なこと。「嗜む」は悪い結果にならないように気をつけるという意味なので、休みの日だからと言って、一日中パジャマで過ごさないようにする。

イザナギが黄泉比良坂を引き返して、黄泉の国から戻ってきたとき穢れた身を清めるのに身につけていた服を全て脱ぎ捨てて川に浸かり身をすすいだそう。その脱ぎ捨てた衣服からは煩いをもたらす神が生まれたそうだ。なので、脱いだ服はなるべく脱衣場に長く溜めないように速やかに洗濯する事。このイザナギの禊は日本人の入浴にとても似ている。風呂から出たらよく汗を吸収する自然素材の新しいパジャマに着替えて、毎日同じパジャマを着ないようにする。

穢れをすすいだ清らかな水につかるイザナギからは三柱の神様が生まれた、その一柱が天照大神

湯船に浸かると生き返る感じがするけれども、これはあながち間違いじゃないというか、その日電車に長時間乗ったときやたくさんの人にあったとき、汗や砂埃にまみれたときはゆっくり塩風呂に浸かりたい。

 

波動が下がっているときは遅刻や不始末が多くなる

小さなうっかりミスが大きな災いをもたらす。大事件とはたまたま運が悪くていきなり起きたというよりも小さな小さなミスがたくさん重なった結果引き起こされるケースが多い。

自分や家の気が乱れ、波動が下がってくると、ミスが多くなってしまう。そんな時こそ、一つ一つに感謝をして、丁寧に暮らす。日々の暮らしの中で私たちの心身に垢のように積もり積もっていく罪穢れを清めて祓う。生きているだけで、他の命をいただいているし、それは罪なのだ。人にも迷惑をかけたり、思わぬところで人を傷つけてしまっていたりもする。

なので普段から、そうしたことをしながらも生かされていることに感謝して、生活したいな〜と思う。

 

【食事編】本当に体のためを考えたご飯を摂るのにやっていること

私が食べることで大事にしたいポイント

・美味しくて体にいい!!(これが一番)

・いい気持ち(感謝の気持ち)で食べられること

・エンゲル指数が多少高くなっても惰性の外食を避けるくらい美味しい家ごはんをつくる

・旬のもの、地産地消、素材そのままをなるべく

【環境づくり】圧力IH鍋は買い!

・圧力IH鍋

象印でもティファールでもお好みで!因みにウチは象印の「煮込み自慢」どっちでも使えるから、大丈夫。

三河みりん

他、醤油や料理酒もスーパーで売ってる系ではなくちょっと良さげな調味料を調達すべし。ここは良いもの買おう。

・お気に入りの魚屋

・お気に入りの肉屋

【買い物】スーパーでなく魚屋で買う!

・魚屋、肉屋、八百屋は旬のものがわかりやすいし、美味しい食べ方や調理法も教えてくれる→自分で調べる必要なし!楽!美味い!

・節約したい場合、ダイエットしたい場合、キッチンの片付けあんまりしたくない場合、多国籍料理に手を出さない→和食一択

・ズボラさんが家ごはんで一番手を出しちゃいけないのは1タイ料理2インド料理3製菓・パン系→調味料がやたら多い、慣れるまで難しい、3は後片付け萎えるから

・和食一択でも圧力IH鍋があるとプロレベルかつ栄養満点のものが家で手軽に食べられる→その分みりん、醤油、料理酒、出汁類、食材にお金かけても問題ない

・主菜を圧力IH鍋に、副菜を漬物など、+味噌汁で体にいい、簡単、美味しい

・米はいいもの買う→コメが美味しいと幸せ

【調理】圧力IH鍋を使い倒す

・自分の調理時間は10分以内に収める→スライサー、キッチンバサミ、などいろんなものを駆使

・圧力IH鍋で切って、ぶっ込んで、ボタンをポチッと調理終了→プロの料理より美味い

・圧力IH鍋が稼働してる間に味噌汁等他のごはんの準備

【その他】手間を無駄にかけない

・なるべくなるべくIT化!!!

・生産性を上げていく!!!

・しかし買い物はネットを利用せず、八百屋や魚屋、肉屋で買う→季節を感じたり活きのいい新鮮なものを摂れる、食べ物のストーリーを知ることができ食べ物に感謝できる

 

 

悲劇の部分を切り取って過度に反応しても前には進まない

「私は可哀想、私は特別、私だけこんな目にあった。」そういう注目の集め方じゃなくてもっとあなたらしい注目されるべきところが他にある。

できない自分を認めたくないとき、トラウマを盾にするのはズルいと思う。だから過去から抜け出せないんだよ。

 

なぜなら、トラウマ含めて自分なのだ。

 

そのトラウマのある自分はまるで本当の自分ではないような扱いが前に進めない理由だ。その自分で行くしかないのだ。その自分でできない自分をできる自分にしていくのだ。

 

だから本当はできるようになりたいなんて、これっぽっちも思っていなくて、そんなことはどうでもよくて、結局やっぱり本気出してもどうせダメな自分を慰めて欲しいだけなんですよ。

ど正面からぶつからない、自分から逃げる癖がどんどんついていきます。

いろんな断捨離があるけれども、「癖」ほど捨て去るのが難しいものは無いと思う。

 

どんなにおかしな男と苦労して別れても、また似たような男とくっついてしまう女をよく見かけるではないですか。

 

捨てるべきは男ではなく、自分の癖なんですよね。

 

だから、これとおんなじで、自分と向き合わないで外に答えを出してもらおうとしてるうちはずぅーっと繰り返すんです。

 

答えは本当はあなたの中にあることわかってるはず!

未来は自分で選んでいく!

蓋が開きだしたということで、もうコレは何度目だろうか。

 

夢にうなされて、夢から醒めてもジトーっと頭の後ろの方に重くへばりつく感じで、体全体にも変な汗をかいて重たい。

 

最近は父と母が夢に出てくるが、私はまるで自分の子供のように二人の世話を焼く。周りに振り回されて、エネルギーをどんどん吸い取られ尽くして気付いた頃には自分がカスカスに干からびてでもこれだけ尽くしたのに誰も私を振り返らない…ただの踏み台だったのかーって果てていく夢。

 

妙にリアルな場面や実在する場所(過去私が育った地域とか)が夢に出てくるもので、目覚めが全然良くない。

 

けど、これまでの経験から言って、これは大きなチャンス。こういうことがあるとマイナスな暗示みたいに思われるかもしれないけど。何か自分の奥底に蓋して閉じ込めていたものを捨て去るとき、こんな風にバーンっと蓋が開いて一旦混乱するのだ。

混乱=カオスがあって、人は変わるんじゃないかと思う。社会も時代も、混乱があったから変わる。

 

雨降って地固まるって言うけれども。雨は悪いことじゃなく恵みの雨なのだ。だから、涙もきっと恵の涙なのではないかと思う。シトシトと心に雨を降らして、自分が確立していくんじゃないかなって。

 

目まぐるしい変化の中を生きるというのは、そう簡単なことじゃない。

諦めることが大切。過去の自分を明らかに認めて、成仏させる感じで、報われなかったり、傷付いたり、許されなかったり、虐げられたり、無視され続けたり、それで「どうしてよ、もう!愛してよ、私を!認めてよ、許してよ、抱きしめてよ!」って言ってそこで泣いてる自分を迎えにいく。

そして今の満たされた私が「大丈夫だよ、もう、苦しまなくて大丈夫なんだよ」と抱きしめて認めてあげると、ちゃんと成仏してくれるんだ。

 

この夢になって、しかも、完全に深い眠りにつかせずに見るような夢はたぶん自分の潜在意識の中に入ってるってことなんだろうなって私は思っていて。今、やっと私の意識の届くところまで上がってきてくれた。成仏したがってる昔の私が出てきているってことなのだ。

 

私は、こういう子達を作品にする。

アートにするのだ。良いとか悪いの二元論でない世界がアートなので、そこに連れて行ってあげるような感じだ。

 

11/27の鎌ヶ谷での作品はノスタルジアという題名にしていて、平成が終わるこの時代に過去を振り返って懐かしむ心をね、何人かの歴史を一つずつ懐かしんでは過去として置いて未来を向く、それぞれが過去の自分の決着をつけて、自分の欲しい未来を選んでいく、そんな作品を作っている。

「未来を選ぶ」これは、この鎌ヶ谷のイベントの主催者であるみたじゅんさんが潜在意識の講座を多くされてる方なので、親和性があるかなと思ってこんな作品にしてみた。

まだまだ二転三転して、完成には程遠いけど、いい作品になるんじゃないかと思ってる。

 

潜在意識を使って生きていくには、過去との決着が不可欠かなーと私は思うんですよ。だって、思考の癖、感情の癖が誰にもあって、全然今の軌道からかけ離れた未来はその癖を切り離さない限り選びとらないものだし、それはなかなかふつうの人間には難しいことだ。だって人間だもん。

 

その臭さがなんかいいよねぇーっていう作品です。