大瀧冬佳のブログ

男児4人の母が幸せな人生のために暮らしと経済と意識について語るブログ

お金や力がなくても足掻きつづける人

救いの手を差し伸べてくれる人は結局は誰を救うかということ。お金や力がなくても己の力で守るもののために足掻きつづける人間に手を差し伸べるんですよ。

 

あなたはどうなりたいのか、夢はなんなのか、どうしてそれになりたいのか。それになってどうするのか。なぜ、なぜ、なぜ。あなたのことなのに、言語化すらしていない時点で他人が力を貸すわけがない。

 

明確な目標とそれに伴う行動が先なのだ。

 

夢だなんだ、人生変えたいだのと他人にすがる前に、その腐った被害者根性と他人任せな考えを徹底的に捨てろ。己の足でまずは立とうとせよ。心ある他人はあなたの松葉杖にはなってくれるかもしれないが、立とうともしていないあなたのことを立たせることはできないし、しない。

 

チャンスが欲しいなら、待つな。

欲しがれ。

欲しいなら、求めよ。

さすらば与えられん。

 

 

自分の名前を看板にする仕事を選択肢から外した理由

自分の名前を看板にする仕事とは?

個人事業主、かつ自分自身にファンをつけていつでもどこでも働ける形のことです。

私が「これいいよ!」と勧めたら「読んでみたい!」「試してみたい!」「買ってみようかな?」と思う人がたくさんいる状態を作ろうと3年前に思いました。

 

ファンをつけようと思った動機

私には両親や身内がいません。さらに最終学歴は中卒ですし、何かあったときに身を守れる貯金もありませんでした。バックボーンなくドン底から這い上がってきた結果、身を保証できるものは何も持ってませんでした。

これは現代社会を生き抜いていくにはかなりのハンデになってしまいます。しかし、世の中には恵まれない家庭で育ったり、施設育ちの子どもが成人した際にはこうした状況になることは珍しいことではありません。ほとんどがそうだと言えます。

私は自助する術を持たねばならないと考えました。女性であれば、婚姻し扶養にはいることで相手方の社会保障の中で生きていけるという道があります。が、現実はそもそも社会保障がしっかり受けられている男性と出会い結婚できるような環境にいなかったり、その精神を持ち合わせていないことが多いです。

そして、私も一回目の結婚はそうした男性と結婚したためかえって生活は困窮し、たくさんの勉強代を払い二人の乳幼児をつれて離婚しました。

 

実家に帰るという選択肢もなければ、仕事も簡単にはとても見つかりませんでした。そうした母子家庭生活を経験し、これは「セーフティネットを自分で張るしかないぞ!」と思い自分の名前を看板にする仕事を目指しだしました。

 

結果的に当時から3年が経過した現在は、日本全国どこでもいつでもお仕事ができるようになりました。日本全国に「いつでも来ていいよ」という実家のように温かい繋がりもできました。昨年三男を出産した際には全国からたくさんの出産祝いを頂きました。これはすべて面識あるなし関係なく「大瀧冬佳」を好きになって応援してくださっている方々からの繋がりによるものです。しかし、そのような形から一旦立ち止まり、現在はそうした立ち位置を変えています。

 

責任の限界領域について

お金を稼ぐ方法はたくさんあります。しかし責任の領域はそれぞれ異なります。私には4人の子供がいる以上、リスクは把握できるところまでしか賭けたくありません。

 

資本主義社会の中で「成功」と一般に認識される方々にこの三年間でたくさんお会いし、個人的にお話を伺う機会は多くありました。

 

彼らがそれだけの報酬を得ているのは様々な理由がありますが、すべての人に共通して言えることは「リスクや責任を誰よりも負っていること」です。その対価が「成功」といえる報酬を保証しています。

 

そして、そのリスクはコントロールできないものです。コントロールできないリスクへのストレス代が社長さんのお給料と言い換えることもできます。

 

私はこのまま収益を伸ばし成長を目指していった先にそうした未来を見たので、コントロール可能なリスクの範囲で仕事をする選択をしたくなりました。そんな職業があるかどうかはその時は全く分からず完全なる未知の領域でしたが…それでも勘を頼りに探し続けてきました。

 

中があるのであれば、外もあるのです。

 

外があることが分からないほどに大きい“中”で、外があることを知らない“中の人”たちとしか接していなければその情報は一切はいってはきませんが、あるに違いないという思いだけで進み続けました。

 

リスク、責任の限界領域を把握し、コントロールできる働き方とそのツールを得てからアーティストに戻ってきたい…これが私が自分の名前を看板にする仕事を選択肢から外した理由です。

国民みんなが好きなことをして働かなくなるなんてことは有り得ない

よく「好きを仕事に」という論に対して、国民みんながやりたくない仕事・労働をやめて好き勝手やり出したら社会は回らなくなる!!と言う人がいる。

 

しかし、それは有り得ない。

 

「好き勝手に生きる」という自由を手に入れられる人、そこに到達できる人は限られているからだ。しかし誰もがやろうと思えばやれることでもあり、そこに必須条件はない。だからこそ、誰もが叶えられることではない。

 

少なくとも…好き勝手、自分勝手に生きる人間のことを批判してる人がいる以上、全員が好き勝手に生きるような事態にはならないだろう。彼らは他者をどんな理由にせよ「批判する」という精神を持ってることで(口に出す出さない以前のレベルでも)、まず自分で自分のその道を進めなくしていることに気付いていない。

 

「批判する」ということは無意識的でも自分の人生に縛りを加えるということだ。

 

そしてさらに言うと「好き勝手生きる」といえる程、自分の好きは何かをわかっている人は少ないのだ。仮に死ぬまでにやりたい100のリストを作ってみたらいい。大概は「○○に行く」が多めになると思う。

 

100億円あったら何をする?の質問にも案外、ありきたりな答えしか持ち合わせていない。

 

人は「生きるために働く」から解放された時、きっと生まれて初めて「生きる意味や目的」について本気で向き合う羽目になるのだと思う。自由を求めるけれど、実際には縛られてる安心感を無意識的に享受しているのだ。

 

本当の自由が訪れたとき、何をしたらいいのか、何のために生きたらいいのか、蓋を開けたら何もない空っぽの自分に直面する恐怖よりもずっと、上司に、夫に妻に、子供に社会に会社に、文句垂れてる方が楽なのだ。

 

だから、インフラが崩壊するほど、みんなが好き勝手やって働かなくなる社会はもうずっとずっと人間の意識レベルが進化した何万年か先になるのではないかなと私は思う。

 

AIの登場でうんたらかんたらはまた別の機会に書こうかな。

自分の幸せについて深く洞察する

先日のシェア会で気付いたことは、思ったよりも人は自分の「快・不快」「好き・嫌い」に疎いということ。

 

幸せってなんだろう??

 

と深く考えてみる時間を毎日とることだけでも日々の生活や心地良さは大きく変わってくるのだ。

 

なんのために働くのか?

誰のために働くのか?

なんための時間なのか?

誰のための時間なのか?

 

という大きめのテーマから小さいテーマまで。

小さいテーマでいうと、日々触れる日用品などから考えてみるのもいい。あなたが朝起きてから夜寝るまでに使う物、触れる物をリストアップしてみる。

 

それを使う頻度と使用時間の高い順に並べ替える。そのひとつひとつの物を上から順に、使用感・デザインなどの観点でお気に入りかそうでないか。使用していて快適なのか不快なのか見直していく。

 

そんなことをするだけでも「自分にとっての重要ポイント」「幸せポイント」が分かるようになる。

 

取るに足らない日常に潜む小さな小さなストレスを潰していくだけでも生活の質はかなり向上するし、無駄な買い物もかなり減る。

 

そんなふうに、すべての身の回りの環境を小さく少しずつ整えることから始めていくと自分らしい生き方に近づいていける!

幸せで経済的にも豊かな人生を謳歌するシェア会

というのを非公開イベントとして開催してました。

 

ふゆかシェア会というのは、かれこれ3年前に第一弾を行いまして。それから今期で第三弾のテーマでの開催となってます。

 

開催は不定期で、開催きっかけは私の人生ステージが上がったときにそこまでの経過をシェアするという形で行ってます。

 

第一弾のときは無名のシングルマザーヤクルトおばさんから

・サイトアクセス数10,000/日

・全国にファンができる

・全国放送、ゴールデンタイムの2時間特番番組から密着取材の出演オファーがくる

・ダンス(好きを)仕事にできた

 

というのを半年で達成したので、やったことやどんな意識で行ったかを参加費は0円からの投げ銭方式でシェアしますというのを投げかけました。ひとりかふたりくらいは聞きたい人もいるかなーくらいで考えていたのですが…わずか1日で50人ほどの申込を頂き、参加者をその中から限定して15~10人×3回と分けてふゆかシェア会第一弾を行いました。

 

気になる投げ銭結果は、平均額1万と想像以上に頂きました。

 

第二弾は三男出産後のソロ公演後。公演チケットを1枚あたり35,000円と相場の10倍にしたのですが、その経緯と作品をどのように作っていったかをシェアしました。産後、生まれて初めて、宇宙から莫大なデータをダウンロードしてしばし頭も魂も飽和状態というのを体感しまして…それを作品におこす作業に没頭した流れで自然に35,000円という数字なりました。

 

こちらも投げ銭方式で行い、平均額は25,000円。

 

次いで第三弾のシェア会をゆるゆると行っているところです。第一弾、第二弾ときて、第三弾は私的には宇宙間への発射準備もしくは周回軌道にのって地球に対し横方向に秒速8キロで進んでいる段階といったところです。

 

テーマは「経済」「お金」「豊かさ」「家族」「幸せ」というところになりますが…第二弾辺りから「意識」というのが私の中で重要なキーワードになっていて、今回のレベルアップに関しては私自身人生最大の博打を打つような賭けの元、勘を頼りに辿った軌跡でした。結果的にこの勘は正しく、検証済みで、本当にこのまま周回軌道を終え大気圏を抜けていくというのを今年中、できれば出産前にやりたいなーと思っているところです。

 

テーマが急な「お金」というかつての私からは出てきにくいワードなので、どう思われるかやその対応がなんだかんだめんどくさかったので非公開でのシェア会開催をしていたのですが…秒速8キロで進むにつれ面倒くささやどう思われるかに関して何も気にならなくなったので、こちらのブログでシェア会開催している旨を公開することにしました。

 

それから、非公開にしていた理由として大きいのは、書けば書くほど訳分からなくなりそうな気がしたので…。実際やっぱり上手く説明しきれていないですね。

 

そんな感じです!

 

豊かになることを許してあげる

最終的にはそういうことだと思う。

 

豊かになっていいと許す

夢が叶っていいと許す

自分に許可を与えることができたとき

実はすぐそこにあった扉に気がつけるのだ。

 

頑なな「自分」というこだわりが

目的地へなかなか辿り着けないよう邪魔してる

そういうカルマみたいな粒々に気が付いて

溶かしたり破壊していくと

道はとてもシンプルに拓けていて

あとは進んでいい、受け取っていいと

自分に許可を出す、本当にそれだけなのだ。

 

 

良くも悪くも

その世界で生きることを選択しているのは自分

どの世界で生きるかは

例外なく自分で決めている。

 

そんなわけがない!と抵抗したいとき

それは自分の無意識と意識に乖離がある場合

そのように反発したくなるのだ。

 

自分の欲求を人生の中で

ひとつずつ満たしていくにつれ

だんだん無意識と意識の乖離はなくなっていく

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有名なマズローの欲求5段階説の中の

「欠乏欲求」をまだ満たしていない段階では

自分が世界を選んでるというのは

認めたくない事実だろう。

 

けれど、自己、エゴ、自我を

超えれば超えるほどに

どれだけ手放したかということになってくる

 

マーケティングというのは

欠乏してる人に対して行っていけば

広く大勢に届くもので

より本質的なものを提供することになると

比例して価値も価格も上がってくるのだ

 

欠乏してる人に対しては

「不安」「恐怖」「欲望」

ここを刺激してあげることで

購買に繋げることができる

 

だから最も効果的な節約は

自分の欠乏してる部分と

その根っこを突き止めること

だと思っている。

 

「お腹がいっぱいなときに買い物に行く」

などの小手先なことではない。

 

そういう意味で

スピリチュアルに生きることは経済的!

だと私は思っている。

 

断捨離の本を読んでも

これが結構ほとんど精神的な問題を

言及する内容なことに気がつく。

 

埋まらない心の隙間を物で埋めようとする。

 

「欠乏」による不安が

経済的困窮を招く。

ここを満たしてあげた果てには

あとは豊かになることを許す

それだけで物質的にも精神的にも

豊かになっていくのだ。

 

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不定期】2019年4月シェア会やってます!

«シェア会とは?»

先生、講師などの立場でなく、また講座やセミナーでもない形で、私の今日までの過程、手の内をシェアする会です。現在はシェア会詳細等非公開で行ってます。公での開催は今後もありません。気になる方はお問合せください。

uzme.thedancecompany@gmail.com

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