肩書きのみでなくそこでの立ち位置と表現が選べる時代に
オリジナリティとは?
個性とは?
尖っていくことが星の数ほどいる同業者の中で生存していく一つの術ですが。その尖り具合が仇となることもあるのだと学んだ2018年下半期でした。
2018年下半期の出演作品は大瀧冬佳【作・演出・振付】は2作品。他の座組に加わって一出演者としての出演が3作品。
私の中ではどれも差異なく全身全霊で挑み、届ける作品だったわけですが。「これは冬佳さん作ですか?」「冬佳さんはどれくらい出演されるのですか?」という質問が8割。
私のことを見に来て下さるお客様は特に舞台や演劇、ダンスが好きって方じゃないんです。むしろ、興味ないくらいの方々。今回明らかになったのは、大瀧冬佳魂みたいなものを見にいらしてるということ。
ほとんどのダンサー、役者は同業者や生徒さん、同期、家族、兄弟、友達などがお客様としてお見えになられます。私は、ここの層が皆無に近い感じで、ほとんど初めましての方が圧倒的です。
だから、所謂この業界の中でチケットを販売しようとした時、仕組み自体が合わなかったりもして、「私、そもそも肩書きは同じでも丸っきり違うことをしているんだな」というのを感じました。良い悪いではなく。
私を起用してくださるプロデューサーの方には私の集客率の高さを評価していただけてるのもひとつあるかと思います。けど、私のファンの方は大瀧冬佳作だったり、大瀧冬佳主演こそを見にきたいと思われることがほとんどで、でも、これは私が今までずっとしてきた発信や表現であるので間違いない反応なのです。
すごく作品として楽しめたけど、正直、もっと大瀧冬佳を見たかったとか、欲を言えば物足りなかったなんて言わせてしまうのは私の立ち位置を改めて考える必要があるなと今回思ったことです。(こういう記事は本当は非公開案件だけどこういうこともストレートに語ってきたのが大瀧冬佳です)
尖っていく
オリジナリティ
個性
これはこういう形でも現われるのだなと勉強になりました。
では、今後大瀧冬佳はどうしていくのか?
ますます鋭く尖らせていこうと思います。人と違うことしかしないくらいの勢いで。