良くない状態がわかることが大事
師走、めちゃめちゃ忙しいのにイベントが目白押しでイレギュラーな用事がポンポン入ってきます。
突然悪いことが起きるのではなくて、ひとつ、ふたつ…とミスや無理が重なって知らぬ間に事件に近づいていることがほとんどです。晴天の霹靂と思うのは、「良くない状態」に麻痺していた証拠でもあります。
だから、「良くない状態」はいけないことじゃなくて、それよりも今、その状態にあると認識できることの方がよっぽど重要です。
「状態」や「現象」について感情が揺さぶられる必要はないです。そのことに左右されること自体は余計なことです。「認識」までに踏みとどめて、その先の「あーあ。」とか「くそー!」とか「困ったなー」そういうのは要らない。それはその悲劇に酔いしれたい人がすることで、暇じゃない人は、そこ、心を感じるのは要らないなーって私は思います。
でも、不感症になるとか、心を閉ざすのとは全く意味が異なります。閉ざした場合にはそれは「麻痺」です。そうではなくて、現実を見るのが大事。ちゃんと認識するって実はとても怖いことだったり、逃げたいことだったり、隠したいことだったり。
だから、「困ったなー」と狼狽したり、自分が左右されてる状態って実は本当の意味で核心は捉えてなく、ふんわり外側の事件っぽいこと悩みっぽいことで遊んでるだけです。
本質的に捉えて、かつ、現象の物質的な輪郭に惑わされずにもっと大きなフレームで捉えるとどんなことでも解決するし、どんなことでも叶うと思ってます。