大瀧冬佳のブログ

男児4人の母が幸せな人生のために暮らしと経済と意識について語るブログ

やらないうちは何とでも言える

大人になって、あいつがどうとか、あの女優はどうとか、現役だったことがない人、現役じゃない人はいくらでも言えちゃうんですよね。

 

身の程を知る、というか。

 

私には反抗期がなかったんです。大人に対して、そこまで反抗しなかった。中学生くらいになると大人のダメなところを槍玉を取ったようにディスってディスって、あんな大人にはなりたくないとかいうと思う。「大人はわかってくれない」とかね。

 

自分のことは棚に上げて、偉そうに言えちゃうのが、この歳の子たち。いや、本当にそうだなって。

 

私は、当時、そんな威勢もなくなるくらい身の程を知らされている真っ只中で、他人のことを色々行っている余裕なんてなかったし、大人にわかってもらうかどうかどころじゃなかったです。

 

私はだいぶ早い段階で、世界一のプリマドンナ(主役をはるバレリーナのこと)になると決めていて。確か10才かそれくらいで、すごく大きな夢を描いていた。私にとってそれは夢ではなくて、目標であり、大人がいうほど「無謀」ってことがわかってなかった。で、小六までは近所のコミセンの小さな小さなお遊戯レベルのバレエスタジオに通っていてのにも関わらず、そこで主役をずっとやらせてもらっていたもんだから本気でなれると思っていたんです。

 

中学生になり、プロを養成するバレエスタジオに変わり、私はそこで現実を知るんです。自分は中学校一年生なのに、そこのバレエスクールの小学校一年生の子よりも下手くそなんですよ。同級生は全国コンクールで日本一をとるような子ばかりで、お教室の壁一面に賞状が飾ってある。

 

明らかに私はクラスについていけず、先生の言っていることは何一つ理解できず。邪魔でしかないし、お友達なんて作っている場合でもなかった。先生も中学生だし、そんな丁寧に相手してくれない。なんて言ったって、そこはバンバン世界に飛び立つ子たちを育てるようなバレエスクールです。ひょっこりやってきたど素人なんて相手にしてくれません。

 

まぁ、辛かった。才能とか、家の格とか、すごくあからさまにわかってしまって。やっぱり現実を知るのは非常に怖いことです。自分のやりたいことならなおさら。自分に才能があるのか、知りたくて、知りたくない。明らかになかったんですよね。

 

私以外にも時々、場違いな子がそのスタジオの門を叩いてきました。大抵、私くらいの歳でやってくる子というのは「宝塚を受験したいから」「劇団四季に入りたいから」「芸能事務所のオーディションでダンスのスキルが必要だから」と言った理由。でも、誰もついていけないんです。こっちは2才から、全ての生活を犠牲にして、家族全員がプロのバレエダンサーにその子をさせるべく血の滲むような努力をお金も時間も投下してきている。生半可な動機では決して受け入れてもらえないし、ついていけない。

 

誰も仲良くなんてしてくれなかったし、若干いじめられてました。「邪魔なんだけど」とか「キモいんだけど」とか通りすがりによく言われていた。けど、そんなことよりも自分がこれだけの差をつけられたスタート地点にも立てていない劣等生だという経験が人生初だったので、もう本当に毎日泣いていました。

 

世界とか言っちゃって、私、この日本のこの小さな街のこのスタジオの中でさえ、一番下手くそ。どんなに頑張っても縮まらない圧倒的な実力差。悔しくて悔しくて、自分がダサすぎて、本当に嫌だった。

 

うちの母も父も、夢見る娘の目を覚めさせるためにそこのお教室にブッ込んだんですね。別に応援とかじゃなかった。だから帰りの車では「ほら、無理でしょ」って毎回言われて、いつもなら威勢良く自信たっぷりに返せてたのにただひたすら声をあげて泣いて暴れたいところを声を押し殺すことしかできなくて、もう、車で送ってもらうのも断って、ずっと一人で行き来していました。

 

学校に通っている間も、バレエのことしか考えてなくて、四六時中ずっと、ずっと、練習。一人で練習。

 

バレエ教室で、3回くらい救急車で運ばれました。倒れるまで踊って。血が出ても、ゲロを吐いても、どうしても上手くなりたくて、先生にはでてけ!下手くそ!って言われても、私は頑固だったから顔がぐちゃぐちゃになりながら踊り続けてました。

 

それくらい、あの多感な時期に根拠のないプライドとかをけちょんけちょんに潰されて、現実を直視した上で、立ち向かった経験が本当に今、あってよかったなって思います。

 

やらないうちは何とでも言えちゃうんですよね。

だから、私は若いうちはもっとどんどん失敗して、潰されて、潰されて、痛い目見た方が絶対いいと思うし。私自身も若いとはもう言えない年齢だけども、いつまでも、驕らないようにそういう局面に自らを追い込み続けて、現役でいたいと思います。