ありがとう、さようなら
舞台に立つ、創るというのは、そのままの私でないと意味がなくそれ以外の方法を私は知りません。
今回、Bolero公演中止とさせて頂きました。
チケットを早々にご購入いただき公演を楽しみにしてくださっていた皆様に心よりお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。
恐らく、一週間前の私であれば全くもって問題なく公演続行可能だったと思います。今年、年明けから非常に変化の速い流れの中におります。昨日の私はもう別の人間で、明日の私は今日の私とは意識、言動が変わるくらいに濃い時を過ごしてます。
私が今回続行不能と決断した理由は、今までの私であればほんの少しの私の我慢や犠牲、頑張り、無理で乗り越えられるものは強行突破で乗り越えてきました。小さな違和感やザワザワは見ない振りして現実を捻じ曲げてきました。
しかし、この生き方は、私が次の作品として提示する私の生き様という作品ではもう終わりを迎え卒業したことで、今の私は「頑張らなくても幸せ」、「無理をしないお姫様でいること」これが私が世に提示したいあるがままの私になっていたことに気が付いてしまいました。
純粋なエネルギーのみで作品という自分に向き合うことでしか、私は舞台に立つことができません。
一度言い出してしまったこと、既に多くの方にご協力いただき、チケットを購入してくださった方もいる中で、期待を裏切り、迷惑をかけ、多大な損失を与えてしまうこと、私自身も信用を失うこと、よく理解した上で、それでも続行することは原理原則に背き、私が私で居られなくなることになるためどうしても続行することができませんでした。
そもそもの決断の熟慮が甘かったことと、自身の状態把握が的確でなかったことが原因です。
現在の私はまだ蝶になる前のサナギの中のグチョグチョでした。これを早まってバーンと表に出したところで形になりません。それっぽくは見せられるでしょう。けど、本当の本当の本当に本質をついたものができているかと言うと1ミクロンの差で偽物になります。
私が舞台上で見せるものは、本物でしか在りたくないと思っております。本当は大瀧冬佳として年に1回ペースで公演を打っていきたかったですが、それは私のつまらぬこだわりだったと気が付きました。
私が出来るのは6年や8年や10年に一度くらいのペースになるのだと思います。大瀧冬佳第一章の集大成としての26年分のMaoであり靈でした。大瀧冬佳第二章はまだ始まったばかりできっとこれはいつになるか分かりませんが、まだ早かったのです。今ではありませんでした。
きっとその頃は私の周りの環境はまるで次元が違うものだと思います。人もきっと違うのだと思います。
そうそう作品なんて生み出せるような器用な人間では私はなくて、長い年月と変化の日々の自分に集中した丁寧な積み重ねが2時間弱の作品にいつかなるかもしれないし、ならないかもしれない、のだと思います。
形はダンスでなくなる場合も大いにありうるし、変わらず踊っているかもしれない。
私は今、過去を完全に切り離しました。不幸だった私だから感動したり、応援したり、そばにいてくれた人には「ありがとう、さようなら」と言ってこの延長線上ではない次の次元に既に私は入っていました。
きっともう、私に違和感を覚える人はそこそこいて、私の変化と手放し、気付きが進めば進むほどに、人がいなくなっていくのかなと思います。まだまだ序章も序章なのでこれからだと思ってます。
でもホント、それでも行きたい場所、叶えたいもの、なりたい自分があるので私はもう振り返ることは一切ありません。
ありがとう、さようなら
が全てです。