大瀧冬佳のブログ

男児4人の母が幸せな人生のために暮らしと経済と意識について語るブログ

自分の名前を看板にする仕事を選択肢から外した理由

自分の名前を看板にする仕事とは?

個人事業主、かつ自分自身にファンをつけていつでもどこでも働ける形のことです。

私が「これいいよ!」と勧めたら「読んでみたい!」「試してみたい!」「買ってみようかな?」と思う人がたくさんいる状態を作ろうと3年前に思いました。

 

ファンをつけようと思った動機

私には両親や身内がいません。さらに最終学歴は中卒ですし、何かあったときに身を守れる貯金もありませんでした。バックボーンなくドン底から這い上がってきた結果、身を保証できるものは何も持ってませんでした。

これは現代社会を生き抜いていくにはかなりのハンデになってしまいます。しかし、世の中には恵まれない家庭で育ったり、施設育ちの子どもが成人した際にはこうした状況になることは珍しいことではありません。ほとんどがそうだと言えます。

私は自助する術を持たねばならないと考えました。女性であれば、婚姻し扶養にはいることで相手方の社会保障の中で生きていけるという道があります。が、現実はそもそも社会保障がしっかり受けられている男性と出会い結婚できるような環境にいなかったり、その精神を持ち合わせていないことが多いです。

そして、私も一回目の結婚はそうした男性と結婚したためかえって生活は困窮し、たくさんの勉強代を払い二人の乳幼児をつれて離婚しました。

 

実家に帰るという選択肢もなければ、仕事も簡単にはとても見つかりませんでした。そうした母子家庭生活を経験し、これは「セーフティネットを自分で張るしかないぞ!」と思い自分の名前を看板にする仕事を目指しだしました。

 

結果的に当時から3年が経過した現在は、日本全国どこでもいつでもお仕事ができるようになりました。日本全国に「いつでも来ていいよ」という実家のように温かい繋がりもできました。昨年三男を出産した際には全国からたくさんの出産祝いを頂きました。これはすべて面識あるなし関係なく「大瀧冬佳」を好きになって応援してくださっている方々からの繋がりによるものです。しかし、そのような形から一旦立ち止まり、現在はそうした立ち位置を変えています。

 

責任の限界領域について

お金を稼ぐ方法はたくさんあります。しかし責任の領域はそれぞれ異なります。私には4人の子供がいる以上、リスクは把握できるところまでしか賭けたくありません。

 

資本主義社会の中で「成功」と一般に認識される方々にこの三年間でたくさんお会いし、個人的にお話を伺う機会は多くありました。

 

彼らがそれだけの報酬を得ているのは様々な理由がありますが、すべての人に共通して言えることは「リスクや責任を誰よりも負っていること」です。その対価が「成功」といえる報酬を保証しています。

 

そして、そのリスクはコントロールできないものです。コントロールできないリスクへのストレス代が社長さんのお給料と言い換えることもできます。

 

私はこのまま収益を伸ばし成長を目指していった先にそうした未来を見たので、コントロール可能なリスクの範囲で仕事をする選択をしたくなりました。そんな職業があるかどうかはその時は全く分からず完全なる未知の領域でしたが…それでも勘を頼りに探し続けてきました。

 

中があるのであれば、外もあるのです。

 

外があることが分からないほどに大きい“中”で、外があることを知らない“中の人”たちとしか接していなければその情報は一切はいってはきませんが、あるに違いないという思いだけで進み続けました。

 

リスク、責任の限界領域を把握し、コントロールできる働き方とそのツールを得てからアーティストに戻ってきたい…これが私が自分の名前を看板にする仕事を選択肢から外した理由です。