大瀧冬佳のブログ

男児4人の母が幸せな人生のために暮らしと経済と意識について語るブログ

怒りと受容、どちらが実質、社会を変えるか

社会問題に対して声高に叫ぶ人たちがいる一方で、実際に社会を変える力を持っている人たちというのは350の「受容」の視点で生きている人たちです。

 

政治家や地方議員、Facebookなどで疑惑を暴いた記事をシェアして意見を言ってる人、炎上が好きな人、人のズルや嘘、スキャンダルを叩く正義感がやたら強い人たち。学歴や職業、社会的地位は一切関係なく150の「怒り」の人たちに分類され、この人たちはいくら頭が良くてお金を持っていても本質的には社会を変えることはできません。

 

というか、本質的に社会を変える視点は持っていません。怒りをぶつけて、発散し、主張することに快楽を覚えてることに本人は全く気がついてないです。しかし、この100~175の層は割合的にとっても人数多いので支持する人も多く、なかなか社会が変わっていかないという理にかなっている現象です。

 

350の「受容」の人たちはそれが正しいか間違っているかという視点はどうでもいいものになり、ただ解決する方法を模索し実行するのでこの人たちは静かに成果を確実に上げていきます。

 

そういう真のリーダーと言える人を支持できればいいのですが、得てして多くの人々自体が100~175に測定されるテーマで生きているので、「怒り」や「プライド」の人をリーダーと思いがちです。なんせ声が大きいですからね!!

 

これが400の「理性」を超えた500「愛」になってくると400は万物をつらぬく真理は見抜けないけどその分野では突き抜けられるという人たちなのでさらに社会のことはどうでも良くなり俗世間から離脱していき、己の探求に没頭しそして400の「理性」に執着して人生を終えます。

 

「理性」を手放した500の「愛」は各分野を極めるのにも執着がないので非常に地味に生きており、本質や真理を瞬時に見抜くことはできてもこれを活用し社会のためにと動く動機そのものがなく全てを愛しているため、社会を変えるという意味で最も適しているのは実は350の「受容」の人たちなのだろうと思います。