法的な助けが若者にだけない状況で私たちが考えていきたいこと

助けたい人はいるのかと聞かれて、いつも、思い浮かぶ人たちがいるんですけど。

それは「可能性が閉ざされた人たち」です。

 

このブログを読んでいるあなたは何才くらいの方で、性別はなんでしょうか?例えば、30代男性が平日の昼間に公園のベンチに毎日座っていた場合、あなたはその人をどう想像しますか?30代男性はふつう、その時間帯は働いているものと言う認識が一般的で、彼のことを多分「リストラにあったのかな」とか「ホームレスかな」とか思うと思うんです。

 

で、リストラではなくて、育児休暇をとっているだけだとするじゃないですか。けれど、毎日幼児を連れて公園に遊びに連れてきているママ軍団はきっとこの男性を訝しげに見ると思うんですね。

 

何が言いたいかと言うと、社会からあぶり出されることとか、居場所がなくなることなんて、すごく身近にあるってことなんです。私は人生のほとんどをあぶり出された道を歩んできました。いつも居場所がなく、いつも得体の知れない怪しいものを見るような目に晒されてきました。

 

すると何が起こるかと言うと、視線が痛いと言うことだけでなく、社会から関係が絶たれるので、情報が入ってこなくなります。これは人が生きていく上でとても大事なものなんです。他愛ない会話をすることがほとんどない毎日なんてあまり馴染みがないと思いますが、想像以上の世界の狭さになります。

 

困った時、助けを求めるのに、求める先もなく、求め方もなく、求め方を調べることもできなくなる。もちろんお金もない。可能性が閉ざされると言うのはこう言うことが起きます。

 

社会からは見えないところに行ってしまい、ネットさえ繋がっていないし、現に、今、私の末の弟は見つかりません。あらゆる手を尽くしても見つかりません。

 

私もそう言うところにかつてはいたのですが、そこから脱するにはいろんな人の手がありました。【所得の再分配】は税金を集めて、再び、分配されることですね。しかし、この社会からは見えない可能性が閉ざされた人たちには分配されることはありません。そこにいないことになっているからです。

でも、そこに分配してくれる人もいたのです。私はそう言う方達のおかげで、今ここにいます。当時「所得の再分配だから気にするな」と言われた言葉を今、理解しました。

 

10年も経ってしまって、もうその方々にも会えないのですが。

 

私は、これから先の人生を考えた時、一周回ってやっぱり若い世代の役に立てることをして生きたいと思います。

 

昨日とある占い師さんに「助けたい人はいますか」と聞かれ、考えたのだけど、この件しか思い浮かばなかったです。コミュニティ形成とか、自助する力、公助の力、そう行ったものを促す活動も一つ柱としてスタートさせていきたいなと考えるようになりました。

 

私がこれはとってもハードなことだと感じたのは、私が人生で一番大変だった時代は18~25才だったのですが。これ、なんで大変だったんだろうなと最近考えていてわかったんです。この年齢には公的、法的な助けが存在しません。(生活保護はある)

市役所に行けばわかるけれども、お年寄りは高齢福祉課があり、子供は児童福祉があり、青年福祉もありますね。でも、若者にはない。つまり公助はない。それは何かあっても自己責任ってことです。

私は保護者を18才で失くしたのです。そして、自身が病気になったのも18才で、多額の借金に追われたのもこれ以降の年齢。シングルマザーは逆にちょっと楽でした。なぜかと言うと、子供には福祉が手厚いからです。(今までと比べて)

そして、私に限らず、児童養護施設に入っていた子供も、学校に行っていない場合は施設にはいられないのです。それから、18からのサポートも一気になくなります。(NPOなどは存在するが公的ではない)

 

ここから先は、あなたの足で歩いてくださいよって何のセーフティネットもなく放り出された状態だったのですが、世間の目は甘くないです。「お前の努力が足りない」「若いのに働いていないなんて」「言い訳なんて知らない」と言う対応が当たり前でした。市役所に行ってもまず、門前払いでした。情報も知恵も助けてくれる人もいなかったので、どんどん孤立していきました。孤独はいいんですよ、でも孤立は人を死に至らしめます。

 

この状況を経験した私だから今、もしかしてできることがあるかもな〜なんて考え出したのが今です。具体的に何をしていくか、色々やってみないとわかりませんが。

今週のお題「最近おいしかったもの」

 

 

人を家に呼ぶというアクションで部屋を整える方向に意識づける

自分の家の中の風景って、それがそこにあることが当たり前になってその違和感に気づけなくなっていきませんか?

 

それって心の中のことでも、自分の価値観でもそうだと思うんですけど、その内面の話はまた今度にして、今日は家について書こうと思います。

 

私は以前は…というか、元々自分が育った家庭はお友達を家に呼んではダメな家でした。だから、つい最近まで他人を家に入れるのは非常に抵抗があり、彼氏さえ泊めることも家に入れることも嫌で嫌で仕方なく、ある時は漫喫に泊めさせるって言う謎なことまでするほど嫌な人でした。

 

自分のテリトリーに人が侵入してくることがどうしても嫌!という極端な反応があった私ですが、この3年で、今は大勢の人が我が家に集まるようなそんな家や私に変わりました。

 

で、話を戻すと、そうして「他人が自分の家に来る」という視点で改めて自分の家の中を見渡すと普段は見えないいろんな物が見えてくる経験ありませんか?

 

自分だけなら平気だった、例えば、飲んで置きっぱなしのグラスが気になり、ワシワシ拭いて若干乱れてるタオルが気になり、ちょっと斜めになってる写真立てが気になり…といった風に、いろんな物が見えてくる。

 

私は以前はそうした直さなきゃいけない物の多さに気付くのがとっても嫌だったんだと思います。自分の乱れた生活や習慣、そうしたことに目を向けるのは辛かった。杜撰な、ズボラな自分を知られるのが嫌だった、他人が家に来なければ気づかずに済むわけです。

 

他人は自分の鏡

部屋の状態は自分の内面の状態とはよく言ったものだなと!!

 

だから今は割とそれを逆手にとって、他人を家に呼ぶことで家を整えるメガネがかけられるのを利用してます。もちろん、人が集まる家って本当にいいなぁ!という思いが一番ですが。来てくれることがすごく嬉しいです。

それによって、こんな変化もあると言う一石二鳥な感じです。

 

自分の心の内も、家の中も、整えようとした時には、他者を締め出すのではなく中に入れてあげることです。

 

他者を追い出したり、遠ざけたりする時には触れられたくないとか見られたくない何かがあるんですよね。でも、そこはあえて入れるようにすると、そこにあるのがおかしなものがハッキリと見えるようになります。今の自分に相応しくないものが見えます。この部屋に合わないものが浮いて見えるようになります。

 

逆に締め出してばかりだと、自分に相応しくないものや本当は全然合ってないもの、妥協しているものなども風景と化して気づけなくなっちゃいます。慣れや麻痺が起こります。

 

なので定期的に人を家に呼ぶこと。特に私は最近、尊敬してる方や目上の方をお招きする時なんかは特にその視点で見れる!ということに気付きました。

 

さらに、物を捨てたり、整えていくとき、「これは必要か不要か」という現実的な視点プラス、「エネルギー的に合ってない」みたいなちょっと氣とか、スピリチュアル的な視点でも物を見るようになりました。なんか明るくなったとか、ちょっと滞った…みたいな動物っぽい勘と、ロジカルな考えとの両輪でまだまだわが家も洗練させていこうと思います。

 

私たちの探求は始まったばかり!

 

足を引っ張る意味がわからなくなる話

自分より活躍しだした人

自分より稼いでる人

自分より可愛い人

 

たとえばそういう人に嫉妬して、足を引っ張りたくなったとするじゃないですか。

 

この足を引っ張る人の心理を考えてみたのだけど、「大したことない」と思ってた相手がそれを成し遂げてチヤホヤされてたりすると特にイライラするのだろう。

納得いかない稼ぎ方で荒稼ぎしてると気に食わなず、あんなの間違ってると非難したくなることもあるのかもしれない。

 

私は思うのだが、その人が稼げなくなったり、活躍しなくなったり、ブスになったところで、あなたが稼げるようになったり、活躍したり、可愛くなることはイコールじゃない。

 

つまりはその席は椅子取りゲームではなくてあなたがそうかそうでないかだけの話ってこと。で、富や名声の席は減らない。その人たちが稼いでいようが、活躍していようが、可愛くなろうが、あなたの富や名声を手に入れる席がなくなるってことではないんだと思うのです。

 

そう考えると、人の足を引っ張る時間や労力を本来どこにぶつかるべきか、一目瞭然です。

 

器用に自分さえも誤魔化せる厄介な人間にならないよう

私は今、とってもいい先生に週に一回2時間見てもらえている。

 

本当に細部まで細やかに丁寧にそして、厳しく。誰も気がつかないミリ単位の甘やかしや誤魔化しに自分も慣れてしまうと器用に逃げ回って本当に厄介な人間になっていってしまう。

 

もっと…もっと…もっと……もっと………

 

と自分の天井を決めずに伸ばしていていきたい。自分は自分しか変えられないんだぞ!冬佳!!!

 

あぁ無理ダァーって根をあげるのは楽だけど、本当の意味ではそれをやってしまうと後々しんどい。

 

自分に真っ当に丹念に積み上げてきた人の前では、恥ずかしくてそこに居られない。悔しくて、あぁ私、今まで何やってきたんだろうと、打ちのめされる。

 

っていうほど、ビシバシ怒られたりしてるわけじゃ全然ないし、そんなメンタル的なレッスンを受けてるわけでもない。ただただ資格取得のトレーニングを受けているだけなのに、身体を通していろんなことを受け取る。

 

今日からまた次のレッスンの日まで、ベストな自分でいようって思います。

しっかりしろーーーー!冬佳ーーーーーー!!!!!

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もう一個新しい挑戦を11月から始めます!

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🐻プロデューサー

🐻ビジネスコーチ

🐻渋谷クロスFMラジオパーソナリティ

の、のぞみPこと加藤望さんに大瀧冬佳をプロデュースしていただきます!

 

そして、17ライブという媒体でライブ配信を始めます。10月はテスト配信をし、11月から始動です。

 

私を知っている人が全くいない環境で一から今の私を出していったら一体どんな方々に見ていただけるのか、気になるところです。

 

トークとそれからダンス配信をしようと思っています。振付力をつけていきたいのでリクエストをいただき振付、表現っていうのも良いかもです。

やってみてトライアンドエラーで行こう!!!

 

よかったら「17」でアプリ落として@_ふゆか_____で探してみてください。

 

 

 

 

型破りと型崩れ

わたしは昨日のブログで、

ダンサーをやめることにしました。 - dancerfuyuka’s diary

 

「ダンサーをやめることにしました」

と書き、枠にハマらずにもっと自分を自由に表現していきたいという旨を綴りました。

 

このブログに関して複数のコメントを頂いて考えたのですが、意味を間違っちゃいけないオリジナリティという言葉。これは注意が必要。

 

枠にハマらないってなんか破天荒な感じとか、天才みたいな感じでかっこいいじゃないですか。でも、私の場合は完全にそれではないです。そういう風に捉えた瞬間、順序が逆になりたぶん型破りではなく型崩れになるだけだと思います。

 

自由と責任は二つセットです。自由度が上がれば上がるほど自分に持つ責任、社会への責任は増していきます。

 

そして型は基礎、基本、みっちり積んだ上に成り立つもので、型がないのにそれを破っていくとなし崩しになってしまうのです。だから、最初は徹底的に誰かの完コピや何かの伝統あるものを徹底的に習得してからはじめて、自分のオリジナリティって出していけるものなのかなって思います。

 

枠って結局、自分が勝手に設けて安心したら苦しくなったりしてるもんですよね。

 

私が言いたいのは…

私が小学生の時、水泳のオリンピック選手が講演に来てくれたんですけどその時に話してくれた話が今も心に残ってます。

一匹のノミを箱に入れて一週間置いておいたとします。一週間後、そのノミの入った箱の蓋を開けてあげました。すると、ノミはどうなると思いますか???

 

ーノミは蓋が開いていても、箱の天井の高さまでしか跳なくなってしまうのです。

 

自分に限界を設けてはダメです。見えない蓋を自分に作ってはダメです。あなたはもっと高く跳べるはずなのです。

 

というお話を聞いて、私は当時世界で一番のバレエ団を目指していたのだけど、それを人に話すと本当によく笑われたのです。学校の先生にも「せっかく頭がいいんだから、そんなこと言ってないで勉強しなさい」って言われました。

私にとっては、今も昔もそんなことではないんです。

枠に逆らうとか、反発するというマイナスのエネルギーというよりかは、もっと自分を信じたいという気持ちから枠を超えて行こうと私はしてます。

 

私にとって小さすぎるとか、そういうことというよりも、なんかもっと無限大に信じていきたい、そんな気持ちです。

ガポガポ入るのが魅力な深いグリーンのトートバッグ

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ガポガポ入るのが魅力なトートバッグを財布の革とお揃いにして作ってもらいました!

 

  • 財布
  • 書類
  • 手帳
  • ノート2冊
  • 筆記用具
  • モバイルバッテリー
  • 名刺入れ
  • メイク道具

が入ってます。

 

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革の色はダークめなグリーン。真鍮の金具がはえます。

 

今日もK様からのトートバッグのオーダーで革のサンプルを持って渋谷に行ってまいります!

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持ち手はK様にはこの形が合いそうだと思い、こちらも実際に見ていただこうかなと!

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大瀧冬佳は踊りを主軸に表現創作活動をするアーティストでもあり、革鞄職人の嫁でオリジナルレザーバッグブランド遊雲天舎の広報、営業でもあります。

 

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