大瀧冬佳のブログ

男児4人の母が幸せな人生のために暮らしと経済と意識について語るブログ

好きなことを仕事にするとして

好きなことを仕事にするとして

・こどもを育てられない

・基本、自転車操業

・忙しすぎて仕事とプライベートの境目がない

・仕事の奴隷になっている

・将来の見通しがたてられない

 

それで好きなことは好きなままでいられるのかなって。寝食忘れるほどに好きなことでも、大切な人の生活や人生を守れなかったり、成長を見守れないほどに忙しかったら…それはそこまでしてやることなのかなって分からなくなってきてしまう。

 

これ、どこでバランスとればいいのだろうってずっと考えていたけれど…答えとしては、このすべての概念からまるごと抜け出してゼロから考えてみなければわからないことだった。

 

悩みを持った人はたくさんいて、いろんな悩みがあるけれど…つまるところみな同じ悩みを持っている。

 

それは時間とお金である。

お金があっても時間がない。

時間があってもお金がない。

お金も時間もない。

 

では、お金も時間もある状態、究極的に自由な領域ってどこにあるのかってこと。みんなそれを求めている。

 

これは自己啓発を読んだり、セミナーに出たり、ライフハックを試したり、そういう結局は形は違えど同じ枠の中で考えているうちには割合が変わるだけで本当の意味で変わるのは不可能だということ。

 

でもそこに至るにはあらゆるものとどうしても、さよならしなくてはならない。

 

嫌いになったとか、裏切ったとか、恩を感じていないわけでもないのだけれど。付き合う人も、いる環境も、食べるものから、寝る時間起きる時間すべてが変わり遊びに行くことさえ叶わなくなる。これはどうしたって仕方の無いこと。

 

それでも到達したい場所がある。

寂しいとか、人でなしとか、まぁいろいろ言われてもこれはやむを得ないことだ。

 

そんなに寂しいのなら、あなたもその歯車から抜けてこちらに来たらいいだけの事。

怒りと受容、どちらが実質、社会を変えるか

社会問題に対して声高に叫ぶ人たちがいる一方で、実際に社会を変える力を持っている人たちというのは350の「受容」の視点で生きている人たちです。

 

政治家や地方議員、Facebookなどで疑惑を暴いた記事をシェアして意見を言ってる人、炎上が好きな人、人のズルや嘘、スキャンダルを叩く正義感がやたら強い人たち。学歴や職業、社会的地位は一切関係なく150の「怒り」の人たちに分類され、この人たちはいくら頭が良くてお金を持っていても本質的には社会を変えることはできません。

 

というか、本質的に社会を変える視点は持っていません。怒りをぶつけて、発散し、主張することに快楽を覚えてることに本人は全く気がついてないです。しかし、この100~175の層は割合的にとっても人数多いので支持する人も多く、なかなか社会が変わっていかないという理にかなっている現象です。

 

350の「受容」の人たちはそれが正しいか間違っているかという視点はどうでもいいものになり、ただ解決する方法を模索し実行するのでこの人たちは静かに成果を確実に上げていきます。

 

そういう真のリーダーと言える人を支持できればいいのですが、得てして多くの人々自体が100~175に測定されるテーマで生きているので、「怒り」や「プライド」の人をリーダーと思いがちです。なんせ声が大きいですからね!!

 

これが400の「理性」を超えた500「愛」になってくると400は万物をつらぬく真理は見抜けないけどその分野では突き抜けられるという人たちなのでさらに社会のことはどうでも良くなり俗世間から離脱していき、己の探求に没頭しそして400の「理性」に執着して人生を終えます。

 

「理性」を手放した500の「愛」は各分野を極めるのにも執着がないので非常に地味に生きており、本質や真理を瞬時に見抜くことはできてもこれを活用し社会のためにと動く動機そのものがなく全てを愛しているため、社会を変えるという意味で最も適しているのは実は350の「受容」の人たちなのだろうと思います。

 

否認と理性が厚い壁になる

ある測定方法を用いて人やあらゆる全てのもののパワーを数値化することが可能なのですが。

 

その中で0~1000で表したとき数値が高ければ高い方がいいと世の中のふつうの人は思ってしまうかもしれません。というか、そういう物の見方をするということがそもそもその人がその数値であることそのものになります。

 

数値が低いほど生きるのが大変です。感情に振り回されてる状態から抜けるのがとっても大変で、数値が高いと本質を見抜く力が長けてくるのと本当は「自分」や「私」「自己」というものはないと気付き、俗世間に馴染めなくなっていきます。

 

で、数値で言うと175と400はそれぞれ「否認・プライド」「理性・知性」というテーマに魂の教育する人たちなんですが。0~1000といろんな魂を見る中で、このふたつのテーマの人たちが最も超えにくい壁に直面してるんだなーと最近気付きました。

 

けど経営者さんなどで社会的に成功してる人たちは案外175は多いように感じます。400はその業界でレジェンドと言われてる人たちが多いです。社会的に(人間的に、三次元的に)みた成功と魂の成長というのはまた違うものなのかと思うんですが、社会的に見れば175と400の人たちは美味しい思いも得られやすい分長く留まりやすいフェーズなんだと思います。

 

175は否認、他を認めません。400は理性を超えられません。人間が人間たる理由、それを手放すのは容易ではないのかもしれません。

 

 

あらゆる源泉からのお金も受け取りますという観念の書換

 

「自分が努力したり頑張ったり、苦労して得たお金でないと自分に入ってきてはダメ」などのお金に関する観念をいくつも破壊してもらって3日経った…

 

現実的に何が変わったのか、ピンときてなかったのが今ちょうど!!!劇的にお金の流れの変化が起こっていたことに気が付いたので書いておこうと思う。

 

どこまで行っても、自分の感情がブロックやブレーキをかけているんだな!!!

 

で、何が起きていたのか。

金額で言うと12万3千円のお金が入ってきていた。私は何もしていないのに。

 

↑この「私は何もしていないのに」というところがポイントで。今まで本当「自分が苦労した結果」得たお金以外は徹底的に受け入れないようにしていたのが私だったので、この12万3千円がわずか1日でいきなり入ってきていたことにさえ気が付かなかったという…

 

そうそう、新たに書き換えた観念は「あらゆる源泉からのお金も受け取ります」というもの。

 

入ってきたルートは、他人が私のために他人に貸してくれたお金だったり、他人がかつて貯めたままにしていたお金を私の夫に渡したりという…そして、そのお金を夫は私のために使うことにしたっていう…

 

今までそんなことは受け入れなかったので、起こりえなかったわけなのだけども。観念を書き換えるというのはこういうことなのか…と事が起こってから数日たってやっと今認識できた。

 

他にも確かたくさんの観念を破壊してもらってるので、三次元が実は動いてる案件をポロポロ私が認識しだすかと思う。ボケっとしすぎだな、私。

 

でもお金関連の他に「バカは嫌い」という観念を破壊してもらってるので私は私にバカでいることを許可できるようになっているのだ。かなり生きやすくなっていることも今気がついた。

 

 

富豪に教えを乞いにいくのに一年かかった

何事もプロに聞くのが早い。ど素人が考えこねくり回しているのは時間と労力の無駄であり、答えがでる見込みも非常に低い。

にも関わらず、なかなか人に聞く事ができなかった。

事、お金に関しては尚更聞けないメンタルブロックが私にもあり、すごくアンテナに引っかかっているのにいざ行動に移すまでにおよそ一年かかってしまった。

 

ただ「聞く」というだけのことで。

 

あの人はおそらく富豪である。私に必要な情報を持っているに違いない。けれども、疑いというほどでもないが、念には念を入れて、彼女たちの動向を追い続け、一語一句逃さずこの言葉の意図することは何なのか??というのを一年も観察し続けた。

 

観察、分析、考察、を繰り返したのち、私は一つの答えに辿り着く。

 

この人の言っていることは、私が一生かかっても決して知り得ないものである。全く別次元の話をしている。私がそれについてこれ以上思考を巡らし続けるのは無意味である。という結論に至った。

 

至ったのに、それでも聞けない私がいて、さらに時間は経過していった。

結局聞くという行動に出られたのは「この先も、この生活、この環境にいる自分たちは絶対に嫌」と思ったからだ。

 

変なプライドを握りしめこの生活を一生続ける自分と、いろんなことは置いておいてダイレクトに聞いてしまってより良い人生にシフトする自分どっちをとりますか?と自問すれば答えは圧倒的に後者だった。

 

 

時の経過が利益の源泉

もう一段階ギア変わった。
 
 
#時の経過が利益の源泉
 
本当に今日この瞬間から「焦る」のとは全くもってこれ、違うけれど「一刻も早く」ではあるんです。 
昨日は大きな失態を犯して自分を悔い改めました。私はまだ此の期に及んで「何かのせい」にしていました。もう金輪際やめます。
・やるべきこと
・お付き合いする人
・学ぶべき人
これらは自分のステージが変わる時「自然と入れ替わる」ものではなくていつだってこの瞬間に自分が「フォーカス」するものなんです。他人様についてとやかくいう人、一切これ関わらないようにしていきます。それはその人が見させられている、関わらされているではなくてその人が自ら「フォーカス」しているわけですよね。もうそこやその人に私は「フォーカス」しないです。
何に「フォーカス」するのか、これは「自分で決めなければならないこと」なんですよね。いくら私が色々話してその瞬間には深く感動しているように見えても、すぐに元の位置に戻って元の人たちと無駄なところにフォーカスして無駄な時間を過ごすに着地してしまう...(別にそういう人がいたわけじゃないです。確認していないんで)例え話として、結局自分で見たい世界を見ていて、体験したい現象を選んで体験しているので私はそれに一切付き合わせないことにしようと改めて決めました。
 
学ぶべき人もの情報、これを間違うと大きな損失になり、パフォーマンスが下がっていきます。将来のために今日を生きています。目線をあげて、遠い未来を見つめるべきです、何歳であろうとも。そうすると年を経るごとに幸せも豊かさも増幅していきます。なぜなら、時の経過が利益の源泉だからです。
 
 
 

今日から土用入り5/5まで

 土用入りしましたね。

私が参考にさせていただいているのは、こちらの暦の人のブログ。

 

blog.livedoor.jp

 

暦を気にして生活し始めたのは、昨年の下半期あたりからです。それまでは、「土用」って「土用の丑の日」でうなぎをなんか知らないけど食べる日くらいの認識でしかありませんでしたが...よくよく調べてみると、暦は統計学であり、先人の知恵がグッと煮詰まった言い伝えみたいなものでした。

日本の風土にあった季節や気の流れ少し気にしてみると気のせいなんかではなくかなり当てはまっているということに気づきました。

 

例えば何となく気分がすぐれないもしくは、急なやる気が出てきて始めたはいいものの後から振り返れば衝動的すぎてもっと吟味すればよかったなと後悔する事案を招いてしまったり、継続が難しいその場の勢いに身を任せてしまったこととか...割とそういうのってありますよね。安物買いに走って、失敗してしまったり。季節の変わり目は感情の起伏が激しくなり、体調も崩しやすいなど。

 

これが季節の変わり目=土用だそうです。

 

そして、今回の春の土用は4/17~5/5だそうです。この期間は感情の起伏が激しくなると心積もりを持っておくだけでかなり違います。

他には

・体調を崩しやすい

・急や出費が起きやすい

・急な予定変更を強いられやすい

・新しいことを衝動的に始めたくなる

などがあるそうですが、「おぉ、土用パワーが働いている!よし、一旦深呼吸しよう」などと黄色信号を自分に持っておくように私はしていきます。

 

早速、今日は3ヶ月ぶりくらいに心揺さぶる事件があったので、これは土用のせいかななんて思えたことで気持ち落ち着きを取り戻しやすかったりしました。

 

今回の土用は強力らしいです。でもその分土用明けから大きく運気が変わるのです。ちょうど年号が変わるのもあります。私個人的にも大きな波がきていて、この波を「波乱だ><どうしよう><」とマイナスに捉えずにむしろビッグウェーブに乗っていくつもりで土用前の準備を入念にしました。土用期間中もゴーとストップをうまく見極めて派手なことはしないけれど、完全停止はせずに慎重にいきます。

 

それでも今日のように感情にダイレクトヒット食らった日には、発酵食品を作ったりして気持ちを落ち着けるリストを淡々とこなします。(ちなみに今日は大納言小豆を和三盆で煮て、それから醤油麹を作りました!)

kinarino.jp

 

象印 圧力IHなべ ボルドー EL-MB30-VD

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 煮込み自慢だと発酵料理も一晩ほったらかしでできちゃいます。

お醤油は今回は、こちらを使用しました。

 

宮島醤油 佐賀のしょうゆ 500ml

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