大瀧冬佳のブログ

男児4人の母が幸せな人生のために暮らしと経済と意識について語るブログ

出演者にチケットノルマを課さない理由

チケットノルマとは、主催から出演者に対し最低これくらいはチケット売ってくださいという、ノルマを課すこと。

 

売れなかったチケットは出演者の買取で、売った分の何割かがマージンとして出演者に入るという仕組み。

 

このシステムにすると主催は赤字のリスクを減らすことができるので、私も多くの舞台関係者から何故チケットノルマ制にしないのかと聞かれる。

 

この理由については、あるタイミングで団員や関係者に説明したりしなかったり。このたびブログにわざわざ明記しようと思ったのは、こういう考えを持ってプロとして作品や商品を作りっぱなし、宣伝は投げる先を考えず思考停止で例にならってただ投げるだけというのをやめてちゃんと仕事をすべし!と思うからだ。自戒を込めて。

 

思考停止の宣伝ってのは誰に届けるものかも考えが足らず、皆一様に「ペライチのA4」のデザインは伝えるためではなく「自己満のカッコイイ、イカしてるだけ」のフライヤー(チラシ)を作り、まく先も決まって知り合いの舞台関係者に折り込んでもらう、またはレッスン先や教え先の生徒や仲間に手配りで「都合が良かったら、すごくいい作品だからぜひ見にきて」というお決まり文句を添えて配るだけの無用なもの。いる?これ???

 

逆の立場で、これ、やられても本心はあなただって「またか」と思ってるだけと思うのだ。これの繰り返しをすることをプロデューサー、制作の「宣伝広告」「マーケティング」「プロモーション」というのなら、世間一般的に社会で行われてるビジネスを知らなさすぎるのではないか。

 

この程度の努力で「チケットが売れない」とボヤいてるのは私には何だか、焚き火が終わったあとの燃え尽きた木々の前で「燃えない、燃えない、火がつかない」とみんなで頭を並べて嘆いているようにしか見えない。

 

で、プロデューサーは言うのだ。出演者に向かって。「あなたたちは、プロです」と。「チケットを売ってお客様を呼ぶことは義務ではないが当然のことです。できる限りの努力をしてください。」

 

いや、いやいやいや!それはそうだ。もちろん、ダンサーや役者もファンの一人にもお金を出して見に来てもらえないなんて趣味か!どこがプロか!と言いたくなる。見に来てもらえても10~20人程度の仲間内。ウチ、数名のファン。なんてところが相場なのは、努力の仕方が大幅に間違っているからで改善の余地大有。

 

しかし、プロデューサーのその発言は、辛辣に申し上げると、作品の質さえ大きく滑落させる言い方。チケットの売れ行きが伸ばせないどころか、害悪でしかないのだ。超短期的思考すぎて、座組の士気をべらぼうに下げる発言だし、自ら無能なプロデューサーですと言っているのと同意義なのでこの人の話を聞こう、ついていこうという気は無くなる。特にしっかり当事者意識を持って作品へ関与している有能な出演者であればあるほどそう思うに違いない。

 

私がチケットノルマを課さない理由はこれにかなり近いこと。いい作品を提供し、観客を満足させることが私の仕事。プロデューサーとしても主演をはる出演者としても。二重三重の責任を負っているのだが。

 

作品の成功、完成には、作品の質や出演者やテクニカルスタッフの技量はもちろんのことだけど、やはり何より生のライブでその時に作られる空気が最後決めるのだ。魔物なんてよく表現されるけれど、私は魔物を飼い慣らすためにチケットノルマを課さないのだ。

 

チケットノルマを課された出演者がチケットを売るために伝えるメッセージは「売らなきゃ」「買取になっちゃう」というエネルギー。

 

1枚売れたときの感情は「よし、1枚売れた」「あと何枚だ」という感情。

 

これで来たお客様が客席に座って舞台を見つめる視線の熱は冷めたもの。

 

一方、Uzmeはチケットノルマを課さないので出演者は一向にチケットを売ってこない。しかし、あるポイントを通過したとき、何か大きな峠を出演者個人の人間性レベルで超えたときに急激にエンジンがかかり出すのだ。それはパフォーマンスの質にもあからさまに現れるし、目付きや姿勢全てが変わる。

 

自ら「来て欲しい」「見届けて欲しい」否、「これを見たらあなたは変われる」「人生を変える舞台だ」という受け身ではなく能動的なメッセージが発信されるようになる。するとみるみるチケットは売れるのだ。

 

チケットが売れたときの感情は「あなたに来てもらえる」「あなたを感動させる約束をしよう」というものになり、「1枚」ではなく「1人」でもなく「あなた」という存在のある命のあるチケットに変わるのだ。

 

私は定型文のメッセージを送るくらいならチケット宣伝なんてしないで欲しいと思うくらい。「to you」あなたへという文章が言の葉が言霊が出てこないうちは、全てにおいてクオリティが足りてないって言うことなので、待つ。

 

そうして来てくれたお客様のつくる客席の空間は開場前からビリビリ電気が流れるような張りを持っている。チケットを購入した日からずっと開演日を、待ち遠しく楽しみに待ってくれているエネルギーは遠隔でも稽古場まで伝わっている。

 

舞台や作品の完成は、決して出演者だけで決まるものではなくて、出演者はひとつのパーツなだけであり、受付スタッフや音響照明、そして観客のみなさんのエネルギーの融合によって時空を超えるような作品が生まれるのだ。

 

正直、1番厳しい目を持っているのは音響照明、舞台監督さんなどのテクニカルスタッフの皆様。仕事としてたくさんの数をこなし、いろんな舞台を見てきた。ここでこれはやらなきゃと本域以上を出させるにはそういう異空間に持っていく必要があると思うのだ。

 

その本気を出させる、出さざるを得なくするのが「団長」「主演」「プロデューサー」を担う私の役目だと思っている。その仕組みをロジカルにかつ直感に従い臨機応変に構築すること。

 

言葉の選び方ひとつで人の気持ちは削がれる。できる限り大きな視野で、広い器で受け止める度量。この人がいてくれたらどんなピンチもチャンスに変えてくれる、なんかやってくれるんじゃないかという期待と安心感。これを持つのが大事だと思うのだ。

 

それは観客も期待している。

ただのダンスじゃないもの。ただの演劇じゃないものを私たちUzmeの舞台に期待している。「感動」なんていうのは当たり前、「感動」したり「胸が震えたり」「魂が揺さぶられたり」ここはもはや当たり前にしてもらえることとしてやってくるのが、私たちUzmeのお客様である。

 

チケットを売るというのは奥が深い。

目先のこと、お金のこと、損得のこと、を考えた売り方はあっさり見透かされている。お客様の想像のその三手先を見据えて、もてなすのが私たち表現者パフォーマー、アーティストの売り方ではないか。

 

「舞台は幕が開く前から始まっている」と私は団員やスタッフに言い続ける。言葉ひとつずつが、行動一つずつが、もう表現だからだ。お客様の目は厳しい。

 

作品の魅力や出演者の経歴の凄さをいくら伝えても「へー!いいねー!」くらいには思ってくれるけど、劇場に足を運ぶというアクションまで至らせるのは「あなたにとってどう凄いのか」「あなたがこれを見てどうなるのか」までを想像させてはじめて動いてくれるんじゃないかなと思う。まぁセオリー的なものはないというセオリーの中でやっているので日々創意工夫だ。

 

だから、本当に来てもらうために必要なアイテムはフライヤーなのか??そもそも紙にこだわる必要ある???石じゃダメなの???布じゃダメなの???紙ならA4ペライチでいいの???

 

それはどこでいつ誰に見てもらうものなの???それを考えるにはその作品は誰に向けたものなのか考えなきゃならない。その人たちが沢山集まる場所はどこ??その人たちがこの公演の情報拾いやすい媒体は何???

 

そこを考えるのがプロデューサーの役目であり、出演者に発破をかけるのはプロの仕事ではない。

 

舞台はだから面白い。