器用に自分さえも誤魔化せる厄介な人間にならないよう
私は今、とってもいい先生に週に一回2時間見てもらえている。
本当に細部まで細やかに丁寧にそして、厳しく。誰も気がつかないミリ単位の甘やかしや誤魔化しに自分も慣れてしまうと器用に逃げ回って本当に厄介な人間になっていってしまう。
もっと…もっと…もっと……もっと………
と自分の天井を決めずに伸ばしていていきたい。自分は自分しか変えられないんだぞ!冬佳!!!
あぁ無理ダァーって根をあげるのは楽だけど、本当の意味ではそれをやってしまうと後々しんどい。
自分に真っ当に丹念に積み上げてきた人の前では、恥ずかしくてそこに居られない。悔しくて、あぁ私、今まで何やってきたんだろうと、打ちのめされる。
っていうほど、ビシバシ怒られたりしてるわけじゃ全然ないし、そんなメンタル的なレッスンを受けてるわけでもない。ただただ資格取得のトレーニングを受けているだけなのに、身体を通していろんなことを受け取る。
今日からまた次のレッスンの日まで、ベストな自分でいようって思います。
しっかりしろーーーー!冬佳ーーーーーー!!!!!
もう一個新しい挑戦を11月から始めます!
型破りと型崩れ
わたしは昨日のブログで、
ダンサーをやめることにしました。 - dancerfuyuka’s diary
「ダンサーをやめることにしました」
と書き、枠にハマらずにもっと自分を自由に表現していきたいという旨を綴りました。
このブログに関して複数のコメントを頂いて考えたのですが、意味を間違っちゃいけないオリジナリティという言葉。これは注意が必要。
枠にハマらないってなんか破天荒な感じとか、天才みたいな感じでかっこいいじゃないですか。でも、私の場合は完全にそれではないです。そういう風に捉えた瞬間、順序が逆になりたぶん型破りではなく型崩れになるだけだと思います。
自由と責任は二つセットです。自由度が上がれば上がるほど自分に持つ責任、社会への責任は増していきます。
そして型は基礎、基本、みっちり積んだ上に成り立つもので、型がないのにそれを破っていくとなし崩しになってしまうのです。だから、最初は徹底的に誰かの完コピや何かの伝統あるものを徹底的に習得してからはじめて、自分のオリジナリティって出していけるものなのかなって思います。
枠って結局、自分が勝手に設けて安心したら苦しくなったりしてるもんですよね。
私が言いたいのは…
私が小学生の時、水泳のオリンピック選手が講演に来てくれたんですけどその時に話してくれた話が今も心に残ってます。
一匹のノミを箱に入れて一週間置いておいたとします。一週間後、そのノミの入った箱の蓋を開けてあげました。すると、ノミはどうなると思いますか???
ーノミは蓋が開いていても、箱の天井の高さまでしか跳なくなってしまうのです。
自分に限界を設けてはダメです。見えない蓋を自分に作ってはダメです。あなたはもっと高く跳べるはずなのです。
というお話を聞いて、私は当時世界で一番のバレエ団を目指していたのだけど、それを人に話すと本当によく笑われたのです。学校の先生にも「せっかく頭がいいんだから、そんなこと言ってないで勉強しなさい」って言われました。
私にとっては、今も昔もそんなことではないんです。
枠に逆らうとか、反発するというマイナスのエネルギーというよりかは、もっと自分を信じたいという気持ちから枠を超えて行こうと私はしてます。
私にとって小さすぎるとか、そういうことというよりも、なんかもっと無限大に信じていきたい、そんな気持ちです。
ガポガポ入るのが魅力な深いグリーンのトートバッグ
ガポガポ入るのが魅力なトートバッグを財布の革とお揃いにして作ってもらいました!
- 財布
- 書類
- 手帳
- ノート2冊
- 筆記用具
- モバイルバッテリー
- 名刺入れ
- メイク道具
が入ってます。
革の色はダークめなグリーン。真鍮の金具がはえます。
今日もK様からのトートバッグのオーダーで革のサンプルを持って渋谷に行ってまいります!
持ち手はK様にはこの形が合いそうだと思い、こちらも実際に見ていただこうかなと!
大瀧冬佳は踊りを主軸に表現創作活動をするアーティストでもあり、革鞄職人の嫁でオリジナルレザーバッグブランド遊雲天舎の広報、営業でもあります。
遊雲天舎HP遊雲天舎 鞄 – 和洋使える革カバン
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ダンサーをやめることにしました。
今日まで23年ダンサーとして生きてきましたが、どうもここ最近自分の目指している道、今いる場所、できること、やっていることと世間一般の「ダンサー」と言う職業の概念とに大変なズレがあると気が付きました。
踊ることをやめるつまりはないし、舞と言うものを主軸に表現創作活動を今後も続けていきます。
でも、もう「ダンサー」と名乗ることは今後はないです。世界に目を向けたら、また「ダンサー」のあり方って日本とは違ってくるかもしれないです。少なくとも今の日本で「日本のダンサー」として不適合なことで貶されたり、できないことばかり責められてしまうのは、居る場所がミスマッチなのだと考えたのです。
ダンスのスキル、テクニックの磨き上げは今年もかなり力をいれていて、これも今後も変わりなく継続する予定ですが、それだけじゃ私のやりたいことは達成できないんです。
自由に自分を表現できなければ意味がないって私は思っています。踊れればなんでもいいとは、今は全く思えなくなってしまったみたいです。そう言う場所は誰かが用意してくれるものではないことももちろん知っていて、だから場所を開拓すること、唯一無二の自分のステージを作ることも私の仕事なのです。
そうなってくると、大変手が足りないので、自分をプロデュースすることをやめました。今よりもっと大きなことをやりたいならば、人の手を借りて、分業にする必要が出てきます。プロデューサーとマネージャーを大瀧冬佳についてもらうことにしました。
そして私は、今窮屈に感じているこの場所から、もっともっと自由に表現し、創造していくことに特化していく「アーティスト」と名乗っていくことにしました。
表現したいもののためなら、ツールは問わず、絵を描いても、歌を歌っても、楽器を弾いても、曲を作っても、美術を作っても、服をデザインしてもいいと思うんです。
現に私は作詞をしたり、美術をしたり、デザインをしたり、演出をしたり、お話を書いたり少しづつ表現の幅がそういえば広がってきていたなと気付いたんですね。
私が表現を続ける理由は、もうなんかわからないのですが、おそらくここが特に普通の人と段違いに違う場所な気がします。表現しないと死んでしまいそうなものってみんな普通は持っていないわけですよね。私にはどうしてもそれがあって、これは止められない衝動なのです。この熱量を持ってできることがあると信じています。
ま、なので、「ダンサー」と言う元々ある業界の枠にはまっていると、本当に私が殺されるような感覚で気が狂いそうになるのです。だから、もう「ダンサー」じゃなくていいやってなりました。この枠の中で表現しなさいなんて言うのは、私にはとても無理。枠からはみ出して足並み揃えられない人は、みんなでツンボ弾きにするよ、なんて、死ぬより弾かれた方が遥かに楽です。
それにここ三年間で「ダンサーの大瀧冬佳と申します」と言う自己紹介を死ぬほどしてきましたが、日本人のダンサーの概念って、踊って食っている人ではなくダンスを教えて食っている人のことなのです。100%、「あ、ダンス教えてるんですか?」って聞かれます。「私は教えはしてなくて、舞台を作ってそこで踊る仕事をしています」というとすごく驚かれます。
でも、ダンサーは踊る人だよね??ダンスの先生ではないんじゃないかって私は思うのですが、世間一般の認識っダンスの先生なんです。
そうでなければ、「劇団四季とか入ってるんですか?」と聞かれるので、私のような人はダンサーとは言わないのかなとずっと疑問でした。
一言で言い表すことができる肩書きがあったらいいけど、今のところ、世間に認知されている肩書きでは私は説明つかないな〜と思っています。
なので、今後は「アーティスト大瀧冬佳」の認知度を上げていくしかないのかなと思っています。
言葉を飲むな
喉まで出かかって
グッと飲む言葉がある
関わる人が多ければ多いほど
言えないことが増えていく
年を重ねれば重ねるほど
言えないことが増えていく
守るものができると
言えないことが増えていく
無理して言わずに
やり過ごす方が賢いこともある
闘わないという選択が正しいこともある
でも、飲み込んじゃいけない言葉もある
例えばいい大人の私がこんなこと言うのはどうなんだろうっていう夢とか、ちょっと臭いようなロマンチックな言葉とか、感謝の言葉とか、ごめんなさいって言葉も。
素直になればいいのに
言葉にできなくなってくる。
いろんな感情が邪魔をして
それはプライドだったり
私を認めてっていう承認欲求だったり
早くに降参してしまおう
そんなカッコつけて
何を守るための機会損失なのか
その小さな小さな言葉のミスが
積もり積もって
気付いた頃には遠いところに
行ってしまってることがないように
本当はこう言いたい…
こう伝えたい…
そういう言葉を飲み込んじゃだめなんだ
伝えたいことは今伝えよう
明日もまた変わらず会える確証は
誰にもわからないから
ダンスカンパニーUzmeの理念と私の話
Uzmeの理念
まずは己が美しくあること
いついかなるときも己の美學を全うすること
美しさとは感謝の心
森羅万象に感謝する日本の心を広める
2018.10.11
今が絶不調だからこそ
今は私は振り戻しにあっていて、とても不調だ。何もやる気が起きない、イライラする。これが幸せなことにイライラするという非常に卑しい状態である。
だからこそ、思い出すのだ。自分とはどんな人だったかを。今はとっても苦しい。こんな自分が嫌で嫌で仕方ない。大切な人にさえ当たり散らしたくなる。そんな自分はもっと嫌。だからジッと丁寧に淡々と見つめ直して小さなことから感謝をするのだ。
そんな風に悶々と脳みそこねくり回して考えていたら、Uzmeの理念がパッと湧いてきた。
これからの私は日本の心を広める
私が今までこんな育ち方をした理由、あの両親の元に生まれてきた意味、こんなに生き急ぎ、だけど最後まで踊ることはやめなかったことが全部繋がったようだ。
私はこの人生を、あの両親を選んで生まれてきた。そして、今後のやることも本当はきっと知っている。
どんなときも感覚を閉ざさないこと、自分に負けないこと、感謝すること。そういう生き方は日本に大昔から受け継がれてきた神の在り方なんだ。
突然に、私がカンパニー名をアメノウズメさまからお借りしたことにも意味があったのだ。
今後のお話の展開もその方向で間違いがない。
さぁ、2019年はいよいよ世界に向けて!!!