大瀧冬佳のブログ

男児4人の母が幸せな人生のために暮らしと経済と意識について語るブログ

女の子はお姫様

かろやかに

しなやかに

あざやかに

 

瑞々しくて清々しい空気をふくませた

そんな女性でいられるようになっていた

 

美しくなっていく

輝いていく

 

29歳はかつてない方向に進んでいくのが楽しみでならない。益々、しあわせに。益々、希望に満ちた方向に。夢を夢で終わらせない。

 

私たちは子どもたちにしっかりと人生を幸せに生きていく財産を確実に授ける。

 

本質はどの世界でも一つしかなく。真理もたった一つ。世の理、自然の摂理、流れに反しないで生きるのだ。本当にただただそれだけ。

 

でも世界は背に腹は変えられない人たちが99.8%を占め、逆流している。利害関係、損得勘定、みな流れに逆らうからその選手権に無条件に参加させられる。そのレースを離脱する術を知らない。

 

一生苦しい。一生追われている。99.8%の人々がそうなのだ。

 

髪を振り乱して働いちゃいけない。肩で風をきって歩く必要はない。エスコートされる人生が自然である。

 

愛されて愛して、愛に満ち満ちた世界で私は生きている。意識の転換。世界を反転させる。決めるのは自分。どの世界で生きるのか、自分が決めること。

自己肯定感と自己価値、そしてモチベーション

思考タイムです。

 

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私は普段お金を

・レッスン代

・トレーニング用品代

・カフェ代(考える時間・空間代)

・食費・日用品

・ネイル(月に一回)

・美容院(半年に一回)

・マツエク(2ヶ月に1回)

産婦人科受診料

 

しか使っておらず、服も買わないし、飲みにも行かず、タバコもやめたし、綺麗に洗い出せるほど明確な使途である。

 

これを洗い出して、このリストから一旦離れ、「自己価値」について考えてみた。それは私は自分にはどんな軸が通っているか知りたかったからだ。

 

私にとっては自分の価値を考えた時、自分のモチベーションの高低が非常に重要だということがわかった。

 

人にどれだけ褒められても、どんな凄い人に褒められても、例えば凄い名誉ある賞を頂いたり、自分以外のものに認められることがあったとしてもイコール自分の価値が上がることには繋がらない。

 

自分の美学や哲学を貫けることが大切であり、それには「モチベーション」が非常に大事。

 

モチベーションを上げるないし保つには、他者の力を借りるか、自力、の2パターンがある。

 

かつては「自力」で上げることばかりしてきた。なぜなら費用対効果を実感したこともなければ、その資金もなかったから。

 

けれど短期的収益を得る(短いスパンで損得で考えること)ということは長期的拡大を失うということに気がつき、尚且つ、損得で考えること自体が損で、損を恐れての行動という時点で私の美学に背くのでやめた。

 

それで、話は戻って、自力でモチベーションが上がる要因には

やはり

・信念

・意志

がある。自分はこうしたいという目的、ゴール、理由。でもそれを見失ってしまうときというのは余裕がないとき。自分の信念よりも生活を優先させなければならないとか、子供の生活とか、背に腹は変えられないとなる時代は私だって長かった。20代のほとんどがそういう時代だった。

 

信念を貫ける環境になるまでの最短距離を弾き出して、脇目も振らず腹を決めて突き進んだ、それが私の26歳までだった。

 

今でもそういうところに陥りそうになる。実際には生活に全く困窮してないのに、不意に果てない未来の不鮮明さに不安を覚えることもあったりする。それを助けるのに他者の力を借りたモチベーション上げるタイムが非常に有効。

 

私が爪や髪やまつ毛といった自己満でしかない細部の手入れをする理由はその余裕を得るためのようだ。本当はそんなのなくても自分の価値を感じれる方がいいのかもしれないけれど、それでさらに上がるならやったら良いのかなって思う。

 

毎日する稽古やイメトレも私にはとっても重要。イメージを強く何度も描くこと、一人でなのか、誰かとなのか、そういうのも私の中のバランス感覚で積み上げる。イメージの幅を広げるとき、強くするとき、反転させるとき、引っ張ってもらうとき、緩めるとき、視野を広げるとき、いろいろ違ってくる。

 

カフェ代はスイッチの切り替えという意味で利用してることがわかった。ほんと、ここ節約できないかなーとよく思ってたけど、私の軸なのだから今後は罪悪感なくカフェに行こうと思う。

 

私のことを眩しくてたまらないと言ってくれる人がいる。私を見ていると自分には何の軸も信念もないんじゃないかと焦るとも言う。

 

けれど、私からしたら、そんなあなたが羨ましく感じるときだってあると伝えた。私は今は生涯のパートナーができてその人にとても大事にしてもらってる。

 

私の価値は、私が〇〇だからとか私が〇〇をしてるからってことではなく、私が私であるだけで好きだと全てを肯定してもらってる。

 

本来なら両親にそういう風に育てられたらきっと自己肯定感というものが育ち、私のように強迫観念レベルで自分の価値をしっかり感じ続けるとか信念を貫くことに一生懸命にならなくても良いのかもしれない。

 

ある意味、窮屈で不器用な生き方だから、だからあなたが眩しく見えることもあると伝えたのだ。けれどそれは一長一短であり、ある人から見れば長所である人から見れば短所、良いことも悪いこともあるような、良いも悪いもないような、そんなことなのだろう。

 

現に私はそんな自分が好きだ。苦しいとは思わない。自分の生き方はナイフのエッジを歩いているようでエキサイティングだ。平坦な道を歩くのは退屈。自らエッジを効かせてそこを歩いている。

 

たぶん、そういう風にナイフの上を楽しめているのはパートナーの存在がとてつもなく大きい。

 

私は人よりおそらくアホほど物を考える。考えるのが趣味だし、特技は挑むこと。そういう自分でいるとモチベーションが高くいられる。

 

さまざまな商品やサービスを私たちは消費しながら生きている。私の場合、自分のモチベーションを上げるまたは高く保つための使い方しかしていない。価格で選ばず、ただただこれは私を上げるかどうか。その上げ方は適切かどうか。ただそれだけ。

 

一億円を持っていても、たぶんエルメスのバッグは要らない。

 

その軸さえも壊しているところなので、これからが楽しみ。

 

本当に欲しい物が目の前に来たとき人は日和る

変化するコツは引力を認識すること

「動いているものは動き続け

止まっているものは止まり続ける」

これが変化の原則

 

その場にとどまることは落ち着く

頭でどんなに変わろうと思っても

無意識下ではそこにとどまろうという意識が働く

 

本当に欲しい物が

もう寸手で掴めるところまで来たとしても

その引力に引っ張られ逃すことは案外多い

 

手にする瞬間、無意識下で

それを「手にした自分に日和る」

その意識が一粒でも混ざると

縁がたちきえるのだ

 

それはもう仕方ないと

言わざるを得ない理由で

目の前から消え失せる

 

トップを目指すとき

「何も1位でなくてもいい」

「2位でも十分」

ないし「上位に行ければいい」

などと思った瞬間

1位になる実力を持っていたとしても

2位どころか5位にもなれないものだ

 

あなたもそういうところないですか?

「別に俺はそういう玉じゃない」

「私はこれくらいだから」

と自己卑下し、欲しいものから手を引いてきた

何に遠慮しているのだろう

 

足るを知るという言葉がある

 

私はこの程度という枠を知ること

ある中で生きるということ

 

その考えはとても素晴らしい

幸せになる一つの方法ではあるけど

よーく自分に向き合ってから

その言葉を言った方が良い

 

なぜなら夢を見られなくなるから

 

この日本社会でうまくやっていくには

この日本社会で大人になるということは

つまりそういうことだ

 

でもそれを未来の子供たちに

見習って欲しいと思うのかということ

自分たちの背中を見て

子供たちが何を思うかということ

 

自分たちは夢さえ見られないのに

子供には残酷な質問をする

「将来の夢は何か」と

 

私は4人の子供たちに

夢の見方を教えたい

夢の叶え方を教えたい

夢を叶える道具と技術を授けたい

 

だから私は進み続けたい

変化し続けたい

日和らない工夫を日常的にふんだんに仕込む

人は大きな変化を前にしては

誰だって例外なく引力に引っ張られるという事実

 

抜け出すには現状の環境から離脱し孤独になること

人は1人にならないと成長はないんだよ

1人の時間を大切にすること

自分と向き合う時間が大切

 

仲間とつるんでいるうちは停滞

井の中の蛙というものなのだ

 

井戸から出たあなたは

孤独で辛く厳しく寂しさも感じるし

自分の想像よりもちっぽけな存在っぷりに愕然とするだろう

 

でもそこからがスタート

 

そこに立てる強さは

あとでしっかりとあなたの力になる

 

ぬるま湯に浸からず

今日も極寒の海に身を投じるのだ

 

孤高の存在の価値

いよいよ第三のフェーズに私の人生は向かっている。

 

もう本当にリアルでもネットでも断捨離を昨年から繰り返し、余分なものを切り捨ててきた。その切り離したものや人からたくさんの恩恵を預かり感謝の気持ちを持ちつつ、それもろとも全て私なりの最大の誠意を示したことで自分の中でようやく恩返しが済み、心置きなく私はひとり、旅に出られる感じだ。

 

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私はマス層というところから抜け出て、労働をしない領域に達することを今年の目標にしている。で、私はというよりも、私たちは。つまり家族で、だ。

 

一生かかっても使いきれないお金を持っている人がこの世に存在する中で、99.8%の人間が稼いだお金の中で消費しながら生きて死んでいく。これはずっと苦しいままである。

 

「労働して対価を得る」このマインドを持っているうちはずっとその生き方なのだ。ぐるぐるぐるぐるその中で生きていく。本当の本当の本当にどう生きていきたいのかを考えたら、私には経営者や起業家、実業家としてある程度高い所得を得たとしても、それは私には違和感、望まない未来であり人生。

 

いろいろやめているうちは、まさか自分がこういうところに達するとは思ってもみなかった。怖いけど、まずは今の違和感ある世界をやめてみないと次はないと自分に言い聞かせて、ひとつまたひとつと手放していった。

 

桁違いの存在

桁違いの世界

桁違いの領域

 

そうなってくるとお金はお金ではなくなり、消費という概念も仕事も、時間もさまざまな信じていた常識が崩壊しだす。世界が反転して見えてくる。

 

経営者はすごいと思っていた。反転した今はすごくはないと思うようになった。芸術家が現代に歴史に名を残すほどに成長しない理由までが説明がつく。パトロンの歴史、芸術の歴史、文化の歴史。ありとあらゆるものがリンクして、私が今世で成すべきことが明確になった。

 

だから私は1億円の芸術家なのである。

 

1億円のパトロンがつくに値する芸術家になり得たわけで、まだここからがスタートで、より研ぎ澄ませていく次第だ。孤高になることを恐れない。まだまだ甘い部分があるがここも徹底して、決して驕らず、経営者がすごくはないと言い切ったのは戒めでもある。

 

大瀧冬佳以外が私の師匠。

自分はここからがスタート。

 

短期的ではなく長期的にモノを見て、焦らずに。

 

人、モノ、情報をスッキリさせて、己の感覚を研ぎ澄ます

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iPhoneを持ってる意味!!!てなってくるけど

SNSというSNSをほぼアンインストールした

 

本当にそれは私の人生に要るものなのか?

たった一度の人生

そこに時間を費やしていいのか

私の20代はもうあと一年だけである

 

年をとりたくないわけじゃない

自分の納得いく形で30歳を迎えたい

 

誰と過ごすか

何処にいるか

何を食べるか

 

 人生を変えるのは自分

動かせるのも自分だけ

 

幸せは人それぞれというけれど

本当にそうなのだろうか

無自覚にテレビやネット、SNSによって

作られた幸せの価値観になっていないか

 

 

もっと自分の感覚に立ち返って

自分の幸せの定義、夢、希望、人生を

ちゃんと感じたい

 

標準化され自分って何なのかを見失わないよう

 

本当の富、豊かさ、平和の中で生きるよう

 

私は私の路を歩いていきたい

 

 

ネットが面白くなくなってきたのは資本主義社会の侵食によるもの

ほんとにググれカスなんて言われてた時代が懐かしい

検索にかかる情報の上位のほとんどは

標準化、平均化されたまとめサイト、広告ばかり

 

最近検索してて

本当に欲しい情報拾えてますか?

 

 

私は本屋の陳列の仕方も気に入らない

どの本屋も同じ画一的で標準化されていて

平積みの本は「今売れているもの」

売れているものが欲しいんじゃない

有益な情報が欲しいのだ

売れているもの基準でしか陳列しないおかげで

専門書は見つけにくいし

奥に追いやられてしまう

 

拝金主義

資本主義

お金が目的の人ばかり

 

「稼ぐ」「広告」

そういうことが基準で世の中が回っている

ネットも最初のうちは

もっとカオスで標準化されてなくて面白かった

今はほとんどシステム化されてしまって

有益サイトは埋もれ

広告収入を得るために

SEO対策を徹底しただけのサイトばかり出てくる

 

それはつまり振り出しに戻ったってこと

ゴミの中から情報を掬い出すのはやめて

自分の手足、頭を使って探すこと

 

私的にはここ数年は酷く遠回りになり

表に出る機会はほとんどなくなるだろうけど

それでもこの時流を読んで

少し潜って仕込もうと思ってる

なりたい自分は今の自分の延長線上にはない

自分を変えられない理由はここにある

 

・痩せたい

・金持ちになりたい

・成功したい

・人気者になりたい

・彼氏彼女が欲しい

・結婚したい

 

いろんななりたいがあったとして

そうならないのってなぜ?

 

それはまずあなたが

なりたい自分は今の自分の延長線上にはない

ということを理解することから

 

つまり今の自分の考えられる範囲での方法で努力したって変化しない

 

行動ではなく意識を変える必要がある

人は意識があって信念があって行動に至る

意識も信念も変わらないのに

行動だけ変えたって元の自分に戻るよ

 

「〇〇するだけで痩せる」なんて本

二度と買っちゃダメ

だからあなたは痩せない

 

でも残念ながら意識にアプローチしてくれる商品やサービスはない

この資本主義社会においてはごくごく稀である

なぜなら儲けることが目的のもとに

人々や企業は動いている

 

意識にアプローチしてようにみせかけて

行動にアプローチしてることがほとんど

 

自己啓発本のほとんどには

行動に関することしか書かれてない

 

なので本を読みたいなーと最近よく思うけど

読みたいなと思う本がまるで売ってなくて悲しい

 

葉っぱや果実に惑わされるな

肝心なことは根っこにある