大瀧冬佳のブログ

男児4人の母が幸せな人生のために暮らしと経済と意識について語るブログ

長年のあらゆる問いが解決したたった一つの公式

ずっと疑問だった

どうして私は社会に馴染めないのか

ふつうでいられないのか

 

資本主義社会の中で

どうにも生きにくいこの現実

 

たくさん行動して試して

工夫して失敗して成功して

それでも強か残るコレジャナイ感

 

それを解決したのはたった一つの公式

その公式を手に世界を改めて見てみると

腑に落ちまくる不思議

 

そしてこの公式は

99.8%の人が知らない

知ろうとしてない

かつての私のように

 

私はこれからこれを

実証する人生を歩みだす

 

そして実証できたかできなかったかは

誰にも知らせず

今と変わりない顔して

生きているだろう

 

 

 

 

変化に向かってく側の人

安全の島にいたままだと変化するもんもしない。

 

自分が変化するまでの領域って結構思い切って、ちょっとやりすぎなんじゃない!?って感じるくらいにガシッとやっちゃう域。

 

そんで変化は、ちゃんと効いた時、作用した時、多少の痛みが伴う。自分過保護な人は、あらまどうしましょと慌てふためくし、大変だと騒ぐと思うんだけど。

 

変化させるときは仕方ないし、変化に向かってく側の人間は「よしよし」と喜ぶんだ、その痛みを。

 

大胆な人が好きだ。

ちょっとくらいオーバーに行っちゃっても寛大にその後の経過までじっくり待てる人の方が得だ。

 

短期決戦で結果をすぐに求める人って損しやすくもったいないと思う。すぐに「あぁダメだ!」とか「最高!」とかジャッジをくだしたがる。人も物事も第一次反応みたいなところで決めてしまわないで、もう少し待ってあげること。

 

これは自分の変化に対しても通ずる。

批判非難、あれはこうだこれはこうだと評論家の立場にいれるのは楽ちん。けど、そこにハマっていくと自分が全く成長できない鎖に雁字搦めになってたりするのよね。

 

変化、反応、結果を一発目で決めないこと。例えば痛めてしまったとしても、それはいい結果のための踏むべきプロセスだったりするんだ。

 

破壊と再生を繰り返して人は成長していくので、すぐに目くじら立てたり、鬼の首を取ったようにいちいち騒ぎ立てないこと!!

 

ゆっくりじっくり。大胆に。

エスコートされる人生を

f:id:dancerfuyuka:20190123222530j:image

しつこくてすみません。

結婚式からもう約1ヶ月が過ぎ去ろうとしてる。

 

改めてエスコートをしてもらえるって本当に女の子には必要な生き方なんじゃないかなと思い、それを書くことにする。

 

第四子の性別はまだ分からないのだけど、もし娘だったら、私はわがままなちょっとくらい性格の悪い女の子に育てたい。自分の幸せを優先できる子に。性格の女の子って損するからね。兄三人と父をメロメロにして振り回すくらいの女の子に。

 

f:id:dancerfuyuka:20190123222515j:image

 

結婚式では一歩歩き出すのも手を差し出されてから。涙も自分の手で拭いそうになるところを、拭いてもらう。


f:id:dancerfuyuka:20190123222526j:image

 

私は長女で、小さい頃からしっかり者のお姉ちゃんを演じてきた。母も父も末っ子で、弟たちにも頼られ私は甘える場所や頼る場所はないまま、いつもしっかりしなきゃ!とやってきた。


f:id:dancerfuyuka:20190123222523j:image

 

元夫も末っ子長男で私はまるで夫のお母さんのように世話をし、すごく大変だった。離婚してからは子供2人を一生懸命1人で育てていて、これも大変だった。


f:id:dancerfuyuka:20190123222520j:image

 

何だか、この結婚式を挙げさせてもらえたことは私の人生初の甘えだったかも。女の子はもっと委ねて甘えてお願いしていいんだね。

 

肩で風切るように必死に歩いてきた。高いヒールは戦闘モードにするためのもの。メイクも自分に喝を入れるためのものだった。

 

けど、それは違う。

たった1人のあなたのためにキレイな私を見てもらうためのヒールでメイクなんだ。高いヒールはエスコートしてもらうために。

 

たくさんの人に頑張り過ぎないで!頼って!甘えて!と言われてきたけど、今になってはじめて分かった。あぁ、こんなにもたれてもいいもんなのか。自分にそれを許せたのはあなただったから。

 

わたし、ひとりで生きてゆく覚悟はずっと持ってた。いつも。でも、あなたと生きてゆくんだなって本当の意味でやっと思えたのかもしれない。

 

女に生まれてきたのならエスコートされる人生を。

私の夫は王子様で、私はお姫様。

エスコートされるのはドキドキしたな。

 

人間的解釈の潜在意識と意識の世界

潜在意識はあるかないかで言えばある。

潜在意識が世界をつくってるは正解。

引き寄せも起こるしある。

 

しかし潜在意識が何かを知れば、潜在意識を使いこなして欲しい未来を引き寄せよう!!!みたいに便利で万能に使える…は果てしなく難しいというか、そういう入口から潜在意識に入って言った場合不可能なのでは?というのが私の持論。

 

ただし、そういうものがあるんだ~って知れることは非常に面白くて興味深くて楽しいと思う!!!けど、イコールあなたにも使いこなせますよと言い切るのは非常に無理がある。

 

意識の世界はもっともっと簡略化というか、シンプル化されているもので、マトリックスで二進数みたいに01010100101010のような数字の画面いっぱい!的な景色に近い。数字ではないし、二進数かどうかもわからないけど。

 

とにかく、「Aが起きたのは私がBさんを本当はCと思っていたから」みたいな人間都合のネチョネチョしたものではないということ。私はこれを「人間的に言うと」なんて最近よく表現する。

 

潜在意識を使いこなして欲しい未来を引き寄せることは「出来ないとはいえないが難しい」と言ってる意味はそういうことです。

 

引き寄せの法則でよく聞く

  • ノートに書く
  • 人に話す

などの方法がなぜ引き寄せになるのか??ということだけど。

 

そのマトリックスのような意識の世界では、「波」がキーポイントでして、波は鎖や壁にもなり、打ったら同じ大きさの波が遅れて帰ってくる。音、光、私たちが感知できるものはすべて波によって感じられて認識出来ている。目が見えるというのは、光の波を目のレンズが脳にうつして脳が認識してるから。私たちは目で見えてるものを確かなものだと信じているが、目は光の波しか捉えられないし、実際は目ではなく脳が見ている。そして、あるものをそのまま脳が認知しているのではなく、脳の中で再構築して形にして「認識」イコール「私たちの言う見る」になっている。

 

波は目に見える光だけでなく、全てのものから発せられている。波で全てのものが成り立っている。ちょっと変な風になったら嫌だからここまで並と書いてきたけれども、「波動」「エネルギー」ってことがそれである。

 

だからきっとノートに書くとか人に話すというのは、「人間だから起きてない未来は想定しようもなくましてやその周波数を出すことさえ普通はできない」のスタートから書いて話すことでその未来を少しでも今の現実に近いものにしてみる。そうすると起きたと仮定した「感情の周波数」や「周りからの周波数」も変わり、打ったものは帰ってくる法則なので引き寄せられるという解釈なのかなーと思った。

 

それはだいたいあってる!って感じで、でも100点ではないかなーみたいな。解を出すためだけの数学の公式を塾で教わって、けれどなぜその公式なのかは分かってない状態に似てる。そう言う人は大抵何でもその公式に当てはめようとしちゃうんだと思うけど、それではテストは100点はとれないじゃないですか、そんな感じ。

 

日本人は元々波動をすごく使いこなしてきた民族。なので引き寄せとか潜在意識に興味がわくというのも凄く自然な事のように思う。

 

(ここまで書いてきて面倒くさくなったわけではないけど)まとめに入ると、その意識の世界とやらはイルカのような感覚で世界を認知してみることから始める。冒頭に話した「Aが起きたのは私がBさんを本当はCと思っていたから」という感覚は潜在意識とは?を話すときには有効…なのかな??かもしれないけど、潜在意識の「潜在」の意味は「本音が建前に隠れて」という意味の潜在ではないから意識の世界を体感として感じていけるようになるにはものっすごい遠回りで誤解しちゃう気がする。建前に隠れた意識の世界ってめちゃめちゃ人間的だから。

 

表面的すぎて、まぁそれで未来は変わる人は変わるけど…本当に見ていてあぁこの人は潜在意識で自分で世界を創造しているなーって感じる人のやってる事の規模感とか深さはそういうレベルではないから。

 

この人間的解釈での潜在意識で変わる人ってただ単に「言いたいことを我慢してきた人」とか「自分らしく生きてこなかった人」とかなのでそれが変わるのって素晴らしいことで、正しいとか間違ってるかなんてのはこの際どうでもいいんじゃないかって思う。それは自分を内観するひとつの方法。

 

私は元々人間的に生きていないから、良いことも悪いことも怖いくらいに現実化してしまってだからこんなに波瀾万丈な人生になっている所もある。だから、潜在意識って何なの?が、もういい加減分かれよ!って感じでグワーッと引きで見させられ、ひとつの青いタイルとしてしか認識できてなかったものが大きな1枚のモザイク画だったみたいに認識したんですね。

 

それを「靈」という作品で表現してみたけれど、それはまた今度3周年記念として企画しているファンミーティングなどで話したいと思います。

 

 

美しくなるよう人に手をかけてもらってますか?

ギクッとした方も多いのではないでしょうか。

 

意味を知りたくて気になって訪問されましたよね?それはつまりあなたは「美しくなること」を諦めていないということ。その気持ちがとても素敵です。

 

ある程度年齢と経験を経ると、美しくなるのは他の誰のためでもなく、じぶんのためになっていきますよね。異性にモテたいとか、同年代の女性に一目置かれたいというのとは少し動機が異なってきます。

 

女性のそうしたギラギラ過剰に輝き過ぎないいい意味で落ち着いた、でも不動の美しさが私は好きです。

 

先日私は結婚式を挙げました。ふだんは男の子が三人いて、汗をいっぱいかいて稽古もしてるのでほとんど毎日すっぴんです。正直いって美容を語れるほど自分に手をかけておりません。

 

人に見られる仕事ですが、舞台メイクも自分でしていて人にやってもらうことはほぼありません。

 

人生初の花嫁にあたり、ヘアメイク、衣装、ネイル、脱毛、まつ毛エクステと足の爪先から頭のてっぺんまでこだわりのプロに全権委託して綺麗にしてもらいました。私は女子力は底辺で自己満的なものにお金をかけたくないタイプだったのですが、ゲストが何を一番楽しみに来てるかというとやっぱり花嫁姿だと思ったので、徹底的に美意識を高めてみました!(私は友人の晴れ姿を見るのが式での一番の楽しみです)

 

メイクだって自分でできる、ヒールも自分で履ける、一歩歩くのだって本当は一人でスタスタ歩けてしまう。

 

でも!!

そういうのをすべてすべてやってもらうんです。エスコートしてもらって、にこやかに振舞う。美しい!本当に綺麗だと言ってもらう。

 

今まで男よりも男前と言われてきた私ですが、この日だけはプリンセスになれました。

 

嘘みたいでしたが、この日はたしかに自分でも1番美しい私だと思いました。

 

あなたは人に手をかけてもらってますか?そんな余裕はないし、それをする意味も正直見いだせないかもしれない。だってただの主婦だしとか、年だしとか、思ってしまうだろうと思いますが…でも手をかけてもらって欲しいなとそれでも思います。

 

私は週に1回だけオープンクラスをもってますが、結婚式を終えて、そうだ、このクラスに来られる方には私が手をかけて美しくして差し上げようと決めました(*ˊᵕˋ*)♡

 

ボディメイク、姿勢、しっかり私が魅せられるあなたの体を作っていきます。それはさながら専属のボディメイクトレーナーのように親身になってサポートしていきたいと思ってます。

 

「私の体はふゆかさんに綺麗にしてもらってるんだ!」そう思える体験が月1万円です。実際に綺麗になっていく自分を体感することで気分も上がり、意識もあがります。毎週毎週ボディコンサルのようにあなたの変化を捉え、それにあったペースや課題を見出し変化させていくのが私の仕事で、そして、そのための勉強は毎日行ってます。そんなことをもう何十年もしてきていて、さらに昨年から最強のメソッドをもった先生について修得を目指しています。

 

興味ある方ぜひ来てくださいませ!

毎週土曜バレエ超入門クラス

毎週土曜高田馬場にてバレエ超入門クラスを行ってます。

 

誰でも参加可能。飛び入り歓迎、未経験者、初心者大歓迎です。ふだんのクラスで教えてもらえないバレエや身体の動かし方の超基本をみっちり丁寧に教えます。

 

初めての方にはイメージつきにくいと思うので画像とともにレッスン内容の一部をご紹介します。

 

f:id:dancerfuyuka:20190117192405j:image

 

念入りにウォームアップをし、体を温めゆるめたあと、バーレッスンに入っていきます。と言っても、まずは立ち方の基本やバレエの背景やそれをする意味や目的などもお話させて頂いてからレッスンに入っていきます。

 

それによりより深い理解と効果が得られます。

 

週に1回起こし頂くことが習慣になれば日々の姿勢もシャキッと姿勢美人になります。気分も晴れやかでストレス解消にも効果的です。痛めていた体の不調などにも効き目があります。血行を良くし体と脳、腸や心を柔らかくしなやかにしていきます。

 

お値段もリーズナブルにご提供させて頂いてます。

 

1回120分レッスンで3,500円

 

毎週の習慣にし体を内側から綺麗にしたい方には月謝制で1ヶ月12,000円(税込)

 

遠方にお住まいの方やお子様のいらっしゃるママさんにはチケット制5回券15,000円(税込)

 

お忙しい方には単発のドロップイン1回3,500円で予約無しでご受講いただけます。

 

場所:高田馬場駅戸山口徒歩3分 ACCE STUDIO

時間:18:30~20:30(120分レッスン)

ご予約お問合せはuzme.thedancecompany@gmail.com(橋川)まで

 

お支払いは当日現金払いでお願い致します。

出演者にチケットノルマを課さない理由

チケットノルマとは、主催から出演者に対し最低これくらいはチケット売ってくださいという、ノルマを課すこと。

 

売れなかったチケットは出演者の買取で、売った分の何割かがマージンとして出演者に入るという仕組み。

 

このシステムにすると主催は赤字のリスクを減らすことができるので、私も多くの舞台関係者から何故チケットノルマ制にしないのかと聞かれる。

 

この理由については、あるタイミングで団員や関係者に説明したりしなかったり。このたびブログにわざわざ明記しようと思ったのは、こういう考えを持ってプロとして作品や商品を作りっぱなし、宣伝は投げる先を考えず思考停止で例にならってただ投げるだけというのをやめてちゃんと仕事をすべし!と思うからだ。自戒を込めて。

 

思考停止の宣伝ってのは誰に届けるものかも考えが足らず、皆一様に「ペライチのA4」のデザインは伝えるためではなく「自己満のカッコイイ、イカしてるだけ」のフライヤー(チラシ)を作り、まく先も決まって知り合いの舞台関係者に折り込んでもらう、またはレッスン先や教え先の生徒や仲間に手配りで「都合が良かったら、すごくいい作品だからぜひ見にきて」というお決まり文句を添えて配るだけの無用なもの。いる?これ???

 

逆の立場で、これ、やられても本心はあなただって「またか」と思ってるだけと思うのだ。これの繰り返しをすることをプロデューサー、制作の「宣伝広告」「マーケティング」「プロモーション」というのなら、世間一般的に社会で行われてるビジネスを知らなさすぎるのではないか。

 

この程度の努力で「チケットが売れない」とボヤいてるのは私には何だか、焚き火が終わったあとの燃え尽きた木々の前で「燃えない、燃えない、火がつかない」とみんなで頭を並べて嘆いているようにしか見えない。

 

で、プロデューサーは言うのだ。出演者に向かって。「あなたたちは、プロです」と。「チケットを売ってお客様を呼ぶことは義務ではないが当然のことです。できる限りの努力をしてください。」

 

いや、いやいやいや!それはそうだ。もちろん、ダンサーや役者もファンの一人にもお金を出して見に来てもらえないなんて趣味か!どこがプロか!と言いたくなる。見に来てもらえても10~20人程度の仲間内。ウチ、数名のファン。なんてところが相場なのは、努力の仕方が大幅に間違っているからで改善の余地大有。

 

しかし、プロデューサーのその発言は、辛辣に申し上げると、作品の質さえ大きく滑落させる言い方。チケットの売れ行きが伸ばせないどころか、害悪でしかないのだ。超短期的思考すぎて、座組の士気をべらぼうに下げる発言だし、自ら無能なプロデューサーですと言っているのと同意義なのでこの人の話を聞こう、ついていこうという気は無くなる。特にしっかり当事者意識を持って作品へ関与している有能な出演者であればあるほどそう思うに違いない。

 

私がチケットノルマを課さない理由はこれにかなり近いこと。いい作品を提供し、観客を満足させることが私の仕事。プロデューサーとしても主演をはる出演者としても。二重三重の責任を負っているのだが。

 

作品の成功、完成には、作品の質や出演者やテクニカルスタッフの技量はもちろんのことだけど、やはり何より生のライブでその時に作られる空気が最後決めるのだ。魔物なんてよく表現されるけれど、私は魔物を飼い慣らすためにチケットノルマを課さないのだ。

 

チケットノルマを課された出演者がチケットを売るために伝えるメッセージは「売らなきゃ」「買取になっちゃう」というエネルギー。

 

1枚売れたときの感情は「よし、1枚売れた」「あと何枚だ」という感情。

 

これで来たお客様が客席に座って舞台を見つめる視線の熱は冷めたもの。

 

一方、Uzmeはチケットノルマを課さないので出演者は一向にチケットを売ってこない。しかし、あるポイントを通過したとき、何か大きな峠を出演者個人の人間性レベルで超えたときに急激にエンジンがかかり出すのだ。それはパフォーマンスの質にもあからさまに現れるし、目付きや姿勢全てが変わる。

 

自ら「来て欲しい」「見届けて欲しい」否、「これを見たらあなたは変われる」「人生を変える舞台だ」という受け身ではなく能動的なメッセージが発信されるようになる。するとみるみるチケットは売れるのだ。

 

チケットが売れたときの感情は「あなたに来てもらえる」「あなたを感動させる約束をしよう」というものになり、「1枚」ではなく「1人」でもなく「あなた」という存在のある命のあるチケットに変わるのだ。

 

私は定型文のメッセージを送るくらいならチケット宣伝なんてしないで欲しいと思うくらい。「to you」あなたへという文章が言の葉が言霊が出てこないうちは、全てにおいてクオリティが足りてないって言うことなので、待つ。

 

そうして来てくれたお客様のつくる客席の空間は開場前からビリビリ電気が流れるような張りを持っている。チケットを購入した日からずっと開演日を、待ち遠しく楽しみに待ってくれているエネルギーは遠隔でも稽古場まで伝わっている。

 

舞台や作品の完成は、決して出演者だけで決まるものではなくて、出演者はひとつのパーツなだけであり、受付スタッフや音響照明、そして観客のみなさんのエネルギーの融合によって時空を超えるような作品が生まれるのだ。

 

正直、1番厳しい目を持っているのは音響照明、舞台監督さんなどのテクニカルスタッフの皆様。仕事としてたくさんの数をこなし、いろんな舞台を見てきた。ここでこれはやらなきゃと本域以上を出させるにはそういう異空間に持っていく必要があると思うのだ。

 

その本気を出させる、出さざるを得なくするのが「団長」「主演」「プロデューサー」を担う私の役目だと思っている。その仕組みをロジカルにかつ直感に従い臨機応変に構築すること。

 

言葉の選び方ひとつで人の気持ちは削がれる。できる限り大きな視野で、広い器で受け止める度量。この人がいてくれたらどんなピンチもチャンスに変えてくれる、なんかやってくれるんじゃないかという期待と安心感。これを持つのが大事だと思うのだ。

 

それは観客も期待している。

ただのダンスじゃないもの。ただの演劇じゃないものを私たちUzmeの舞台に期待している。「感動」なんていうのは当たり前、「感動」したり「胸が震えたり」「魂が揺さぶられたり」ここはもはや当たり前にしてもらえることとしてやってくるのが、私たちUzmeのお客様である。

 

チケットを売るというのは奥が深い。

目先のこと、お金のこと、損得のこと、を考えた売り方はあっさり見透かされている。お客様の想像のその三手先を見据えて、もてなすのが私たち表現者パフォーマー、アーティストの売り方ではないか。

 

「舞台は幕が開く前から始まっている」と私は団員やスタッフに言い続ける。言葉ひとつずつが、行動一つずつが、もう表現だからだ。お客様の目は厳しい。

 

作品の魅力や出演者の経歴の凄さをいくら伝えても「へー!いいねー!」くらいには思ってくれるけど、劇場に足を運ぶというアクションまで至らせるのは「あなたにとってどう凄いのか」「あなたがこれを見てどうなるのか」までを想像させてはじめて動いてくれるんじゃないかなと思う。まぁセオリー的なものはないというセオリーの中でやっているので日々創意工夫だ。

 

だから、本当に来てもらうために必要なアイテムはフライヤーなのか??そもそも紙にこだわる必要ある???石じゃダメなの???布じゃダメなの???紙ならA4ペライチでいいの???

 

それはどこでいつ誰に見てもらうものなの???それを考えるにはその作品は誰に向けたものなのか考えなきゃならない。その人たちが沢山集まる場所はどこ??その人たちがこの公演の情報拾いやすい媒体は何???

 

そこを考えるのがプロデューサーの役目であり、出演者に発破をかけるのはプロの仕事ではない。

 

舞台はだから面白い。