最低でも3つのシナリオを瞬時に書く訓練
私は自分が劇場というものに小さい頃から慣れ親しんできた影響からか、人生は舞台で、私は劇場と捉えるのが癖です。
冬佳劇場では、どう物語が進行していくかなと考えるんですよね。趣味です。
この考え方でどんなピンチも乗り越えてきた感があります。そうそう、想定の範囲内で物事を進行させて、自分の人生に踊らされる立場ではなくて仕掛け人側になりたいです。だからいろんなシナリオを考えるのです。アドリブの良さもあるけれど、日頃からたくさんのシチュエーションを想定して鍛えておくからアドリブを効かせられるんですよ。
で、シナリオは最低でも3つ、瞬時に書く訓練を習慣づけると面白いです。「楽観的に」「悲観的に」「現実的に」この3つくらいは考えておきたいです。
騙されやすい人や、人に考えが足りないだの、甘いだの言われてしまう人は希望的観測でしかモノを想定してないってことなんです。「楽観的」シナリオしか書いてないんですよね。だから「悲観的に」と「現実的に」も考えておくといいです。
別にそうなるって決まったわけじゃないから大丈夫。危険なのは全く想定してない状態なんです。念のため最悪のシチュエーションも一度は想定した状態で「楽観的」シナリオを進行できるようにしたらいいんです。そうすれば、万が一うまくいかないケースが出てきても慌ててしまってパニックになってしまうこともありません。
恐らく、それが覚悟を決めるということだと思うんです。自分の選択は最悪の事態や、失敗、損害…そういう事態になるかもしれないことも受け入れた上でその道に進むこと、それが覚悟というもの。その選択をしたのは自分、決めたのは自分とよく理解してそれでもそれを選ぶこと。
やっぱり人は弱いからいい面だけを見て、うまくいかなかったら誰かのせいや何かのせいにしてしまいたくなります。そうして生きるのは短期的に見れば楽な生き方だからね。でも、自分の人生に責任を持つ生き方の方が長期的に見て得るもの辿り着くところが全然違いますよ。
騙されたり
壊されたり
奪われたり
傷付けられたり
偶発的なことも人生にはたくさんありますが、すべて自分が悪いなんてことを思って生きるべきと言うつもりはなくてできる限りたくさんのシナリオを想定して想定外を作らないようにリスク回避してあげることはできるんですよ。
その逆も大切で、自分の可能性は無限大であることも忘れちゃいけません。楽観的なシナリオだけじゃなくて究極のシナリオも書いて欲しいです。昇天しちゃうんじゃないかってくらい最高の夢を描ききるのもいい訓練です。
私が小学生の時にその学校の卒業生でオリンピックの選手になった先輩が講演に来たんです。
「ノミの話」をしてくれました。
ノミって、虫のノミです。犬とか猫にくっついてる、刺されると痒いやつ。で、そのノミってピョンピョン跳ぶ小ちゃい虫なんですよね。知ってますか?
ノミを少しの間、狭い箱の中に閉じ込めておくんです。しばらくして箱の蓋を開けるとどうなると思いますか?
ノミは蓋があいても箱の高さまでしか跳べなくなってしまうんです。
その講演をしてくれた選手はこう言ってました。「僕たちは夢を叶えるまでにたくさんの蓋を感じさせられると思う。でも怖いのは蓋ではなくこのノミのように蓋がなくなっても跳べなくなってしまうことだ。」
現に私の蓋は開いていました。でも、そこに蓋はないのにそれ以上に跳べない自分に驚きました。そして世の中の大概の人が架空の蓋にぶつかって跳ぶのを諦めてるのも今すごく目の当たりにしてます。
私たちの人生がうまくいかない一番の理由は自分にあるんです。この言葉を本当にしっかりと自分の胸に落としてよーく考えることが第一歩。究極のシナリオは実に容易に実現できるんですね。